ピアニスト 松村未英 の  スペインの日々
by miematsumura
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調律ではじまる思い出いろいろ

調律に来て頂いた。
暑いのに、本当にご苦労様である。

ここでは、調律師に苦労するのである。一体何人試したであろうか?

ある時、弦が切れて音が出ない音があるので弦を張り替えに来てくれるように頼んだ。
大事な本番があったので出来るだけ早く来てほしいと頼んだが、なかなか来てくれず数週間が過ぎた。何しろ弾いていると音がところどころないのである。さすがの私も変だと思ってきた。
とうとう来てくれたのは本番前日の朝であった。それまでに来るといって、用事が出来た、来れないを繰り返し、前日に直して耳がどうなるのかは知らぬが、せっかくとうとう来てくれるというので、受け入れたのである。

待ちわびていた私にピアノの前に座った彼は言った。

”弦を持ってくるの忘れちゃったよ。”

・・・・・・・・・・

”でも狂っているところは直すよ。”
そう言って、調律を始めようとした。

やっと来たと思ったら、弦なしで本番前の忙しい時にピアノを2時間以上も占領するのか、と唖然とした私は、お引き取りいただいた。弦なしのままピアノを調律して、そこにどういう意味があるのであろうか?そして、今度は弦を持ってきて2重に請求するぼったくり商法であろうか。謎である。
この調律師にはもう会っていない。


さて、調律師はどこで勉強するのであろうか。

いつもお願いしている方はイギリスの調律学校で勉強したそうだ。どのように皆練習するのか聞いてみたら、とにかく朝から晩まで調律する、と意味が分かるような、わからない様な返事が返ってきた。
(音楽学校では皆、どのように練習するのですか、と聞かれて朝から晩まで練習します、と言う感じであろう。分からないでしょうね。普通の人には。ふふふ。)

440ヘルツにしたり444にしたり変えるので、永遠に調律をするのだだそうな。
音楽学校だと小窓のついた部屋で、各人無心に練習する光景を想像するが、それと同じことを調律学校生徒は無心に、ひたすら直すのであろうか。


この小窓で思い出すのは、大学のことである。学校の練習部屋には全てのドアに小窓がついていて中が見えるようになっていた。使用中のように荷物があっても、もし部屋を15分以上留守にしたらその部屋を使用できる、という規則があった。つまりコーヒーを買いに行ったりしても、15分以内に部屋に戻らなければ誰かに部屋を取られるのである。
部屋がなくなったら困るので、皆ちらちらといつも時計を見ながら休憩していたことを思い出す。



これよりさらにすごいのが、私の大学時代の親友の一人、中国から来た子の話である。

彼女は6歳になった時、家から何千キロ離れた上海の音楽学校の小学校に入学した。
遠いのでひとり寮に入ったのである。ここで同じ年の専攻楽器の違う子8人が、一緒の部屋に寝起きしたらしい。右側に4段ベット、左側に4段ベット。机も8個ずらりとひと部屋にあるのである。
ぬくぬくと日本で育った私には、仰天する、想像もつかない世界であった。8人ひと部屋とは!!

食事も皆が決まった栄養を考慮されたものを食べるのではなく、食堂で各自がお金を持って好きなものを食べるので、子供は嫌いな野菜は食べなかったりお菓子ばかり食べて、だから私は背が低いの、と彼女は言った。

そこでは学校にズラリと練習部屋があり、皆がそこで毎日練習する。ここでもやはり小窓がドアについている。そして、監視員のような人がいつも廊下を行き来していて、その人が小窓から中をを覗き見た時、楽器を弾いてなかったら、それが2回目に起った時には退学だそうだ。怖い!!

そうやってスパルタ教育を受けた彼女は、上海の音楽学校を主席で卒業し、北京の音大に合格した。そして、すぐにアメリカに家族と共に移ってきたというわけだ。

こんな子供時代を過ごした彼女は、雑草のように強かった。
何しろ8人部屋で育ってきているので、あまり周りのことが気にならないというか、強いのである。
あれを見て、ぬくぬく好きな物に囲まれて、あれじゃないこれじゃないと贅沢言っていると、日本人は下手をしたら、このどういう状況でも生き抜けるような中国人に負けてしまう、と思ったのを覚えている。


色々な人に出会ってアメリカで過ごした日々は、すごく貴重であった。
あの日々があってこそ、今の自分があると思う。そして、アメリカに行ってなければ、今私はスペインにいないのは確実であろう。


調律で始まる思い出あれこれでした。
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by miematsumura | 2011-07-21 07:03 | スペインの暮らし
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