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ピアニスト 松村未英 の  スペインの日々
by miematsumura
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Triana Pura

その映画は「Triana Pura」という題名でした。

トリアナは、セビリアを流れる川、グヮダルキビルの西側の地区ですが、
アルベニスの組曲イベリアにも、この地区の名前がついたtrianaがありますね。
その、純粋なトリアナ、生粋のトリアナ、という意味のドキュメンタリー映画です。

つまり、トリアナ、というのはヒタ―ノが15世紀から住んでいた地区で、
ここでフラメンコは、独特のスタイルで受け継がれて来たわけです。
1960年代はじめに、政府が、彼らをここから追い出してしまうまでは。


日本でいう長屋のように、パティオー中庭を囲むように、1-2階建の家があり
そこで沢山の家族が住み、トイレは共同。
なので、一緒の家族のように、いつも顔を合わせて暮らしていました。
そこで、貧しいながらも、楽しく、いつも歌って踊って、という生活でした。


その古き良き時代をまだ知っていた、おじちゃんおばちゃんたちを集めて
83年2月に、セビリアのロぺ・デ・ベガ劇場で、同名の「Triana Pura」というショーをします。
このショーの模様と、昔の彼らが住んでいた時代のトリアナの映像、
それから、いろんな人のコメントやエピソード等のお話がこの映画には入っていています。



本当に、今のトリアナと全然違うトリアナが、そこにはありました。
昔の貧しき良きスペイン、というかんじ。


ある日トラックがやって来て、全ての家具やお鍋など、といってもわずかな持ち物ですが、
追い出されます。

トリアナにもっと大きなビルを建てて、お金儲けする為ですね。
何しろ、昔は川を渡ると街から遠い向こう側、という感じだったのが、
開発されてきたら、すぐそこの、橋を渡っただけの便利な地区、になったので
政府はここをビルを建てて開発して、お金を儲けようと思ったわけです。
そしてヒタ―ノは、15世紀からここにいて、住居登録のような正式な紙を
持っていなかったので、さっさと追い払ったわけです。


いくつかのひどい場所に放置された後、
移動先のセビリアの南側のトレス・ミル、まさに三千という意味ですが
ここに追いやられます。
つまり、このトリアナのヒタ―ノを強制移動して住まわせるために、
3000ほど住宅を建てたので、そのままの名前。
(無茶苦茶ダイレクトなネーミングが、すごいですね・・・)

ここは、日本でいうところの団地みたいなアパートで、パティオがあったり
など、愛きょうのある場所ではないので、今まで慣れ育ったトリアナと
大きく環境が変わり、それまであったフラメンコが途絶えてしまったのでした。


トリアナにいた時のヒタ―ノは、貧しいながらも、仕事があり、
ヒタ―ノではない普通のスペイン人とも交流があり、平和に暮らしていました。

このショーの模様から見られる雰囲気が、もうまさに、日本の関西でいうところの
おっちゃん、おばちゃんという感じで、本当に愛嬌いっぱいなのです。
東京の、おじさん、おばさん、じゃない。
おいちゃん、おばちゃん、という親しみやすさです。

いつもの騒いで歌って踊っているメンバー、なので、本当に普通の人なのです。
ほとんどが。フラメンコ・アーティスト、という人が舞台に上がるのではなく。
他に仕事を持っている彼らが歌って踊るわけです。
わいわいさわいで、大いに笑って、愛嬌いっぱいなのです。これがトリアナなのです。

こういう愛嬌の感じはマドリッドやバルセロナ、他の場所にはないですね。
今でもそうですが、彼らには、こういう種類の愛嬌はない。

フラメンコ、というのは、例えばクラシックと違って、芸術それだけを指すのではなく
生き方を指すと言います。
助けあい、分かち合い、という生き方。
それそのものが、このようなトリアナでの日々だったのです。

アンダルシア、特にセビリアなどは、ヒタ―ノと、ヒタ―ノでない人が
平和に混ざって暮らしていた、かなり特別な場所でした。
やはりアンダルシアから、特にセビリア―カディスの間でフラメンコが繁栄したのは、
このような土地柄のおかげでしょう。


だから、逆に言うと、他の土地の人がフラメンコを知らないのも当然なのです。
例えば、日本でも東京の人が、大阪と京都の間の事を知らなくって当然です。
わずかな違い、京都と大阪は、同じ関西といえど言葉も微妙に違うし、ニュアンスも
他の土地の人にはわかりません。


そして、また、階級という物があるので、アンダルシアでも、
クラシックの人がフラメンコを知らないのも当然なのです。
フラメンコは、大衆芸能・大衆芸術ですけど、クラシックをやっている人は、
一般的に、経済的にいい家庭の人が多いですから
逆にスペイン人だからこそ、クラシックをするようなうちの人は、
ヒターノとかがやっているフラメンコなんか、私は関係ないわ、
という態度になるのです。

ヨーロッパは階級が何をするにもついてきますから、それは顕著です。

彼らは、踊りをするならバレエでしょうし、フラメンコの踊りには習いに行かない。
(セビリアーナというセビリアの盆踊りは習って、お祭りで踊れるようにはするでしょうが)
楽器をするならクラシックのピアノやバイオリンであって、フラメンコのギターではない。

逆にヒタ―ノや庶民というのか、その階級の人にとって、
踊りはフラメンコの踊りであってバレエではないし
楽器をするとなると、楽器自体が高価で置く場所もどこでもおけるわけではない
ピアノやバイオリンではなく、どこでも弾けるギターなのです。


自国を出て外国に勉強しに行った、ファリャやアルベニスたちが、スペインらしさ、を
思った時に、フラメンコを思った、というのは、ファリャはカディスの人だったから
近くにフラメンコがあり、親しみがあったのでしょう。
アルベニスも世界を放浪して、一般の人とは違うオープンな心を持っていたのだと思います。

普通のスペイン人だと、多くの人の頭に、まず偏見が頭にあるから、
見えるものも見えないし、どうでもいいのだと思います。

だから、偏見のない外人の私だからこそ、素直に
ファリャやアルベニスが作曲したのにインスピレーションの源になったフラメンコとは
どういう物?と自然に思って、自然にそれをみた、となるのだと思う。
だって、この映画を見ていても、明らかにコンパスに気がつくのですよ。
いわゆるルバートのあるフラメンコなんか、どこにもない。


そして、おかしなことに、こうやってヒタ―ノを追い出した政府ですが、
いまフラメンコが独自の文化だと気がついて、
庶民の側である社会労働党は、その保護に躍起になっています。
特にアンダルシア地方では、フランコ独裁政権が終了して以来
ずっと社会労働党が政権を握っている土地です。
一応、彼らは、庶民の側、つまりフラメンコをする人側の政党なので、
フラメンコを保護しているということになっている。


私は、あっちの党が言うことはとにかく反対とか
こっちの政権が言うことは、何でも100%賛成、とかはないのですが
保守党の人に、何故クラシックをやっているキミがフラメンコなんかと一緒にするのか
そんなことはしなくてもよい、と言われたこともあるし、この階級意識はすごいなあと思います。
ちょっと日本にいると分からない感覚だと思います。

階級の高い人でも、例えば、アルバ公爵夫人は、ものすごくユニークな人柄で、
そういう階級のことをそれほど気にしない人もいて
フラメンコを習いに行っていたり、家のパーティーにアーティストを呼んだりしていました。
そう言えば、もうすぐ出る今度の音楽現代の連載は、アルバ公爵夫人について語っています。


日本人にとって、ヒタ―ノというと、パリで物乞いをしているジタンを思い浮かべたり
するのかもしれません。つまり、怖い。

でも、アンダルシアにいるヒタ―ノって、もっと自然に社会に混ざり、生活しているので
これもここに来ないとわからない感覚かもしれません。
当たり前ですが、すごくいい人もいっぱいいる。

フラメンコは口頭伝承なので、途絶えてしまうと、もうどうにもならないのですよね。
段々フラメンコがお洒落になって行って、マドリッドやバルセロナをはじめ
スペイン各地でもやる人が増えているかもしれませんが、別物になっているので
これからのフラメンコがどうなるのか、さあ・・・という気がします。


新年早々、いろんなことを見て、考えさせられた映画でした。
こういうものを見る機会があるのはすごく特別だと思うので
招待してくれたリカルドに感謝しています。
by miematsumura | 2014-01-11 06:47 | スペイン音楽
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