ピアニスト 松村未英 の  スペインの日々
by miematsumura
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カテゴリ:思い出( 11 )

マイヤ・プリセツカヤ

マイヤ・プリセツカヤが亡くなられました。

彼女はもちろん大変有名なので、誰でも知ってると思うのですが
私には、昔、シェチェドリンの曲を弾いたときに、彼は、プリセツカヤの夫なのよ!
と誰かが教えてくれ、えええー!と驚いたのが、急に身近に感じたきっかけかもしれません。


その後、私は日本の古本屋さんがすきなのですけど、
「闘う白鳥」という彼女の自伝を、よくいく古本屋の棚に見つけたとき
おお!と嬉しい驚きで感激したことを覚えています。  


この自伝には、スペインの章があります。
スペイン国立バレエ団の芸術監督になって、マドリッドに滞在していたときのことが
書いてあるのです。
自分のスペインの印象と比較したりして読んだことを思い出します。
ちょっとね、似てるんですよ。私のと彼女のが。

それから、もちろん、シェチェドリンとの出会いも、書いてありましたよ。


また、あるとき、インタビューをTVで、彼女が言っていたこと。

バレーリーナというのは、美しいバラの花束のようなものです。
ひとつひとつが、すらりと美しく咲いている。
それがひとつ、ひとつとだんだん枯れていき、最後に残ったバラがあります。
私はそれなのです、って。


音楽家とはまた違って、踊り手というのは、寿命が短いな、
と思った記憶があります。


そういうことをつらつらと思い出しながら、
ソビエトの時代から生きてきた、芸術家の人生に想いを馳せています。


ご冥福をお祈りします。
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by miematsumura | 2015-05-05 05:51 | 思い出

なつかしの写真 マルタ・アルゲリッチ編

先日、ずっと使っていたPCが、ご臨終あそばれました。
写真などキープしたいものがあるので、メモリーを取り出そうと
親戚のお兄ちゃんに手伝ってもらいにいくと、
なんと、古い使っていないPCをくれました!!!!

すごすぎる!!!

メモリの保存のことだけ考えてたので、くれると知ったとき
あまりの驚きに、ぽかーん としてしまいました。

その時に、古い懐かしい写真を見つけたのでUPします。
98年に、アルゲリッチマスタークラスに参加したときのです。

マルタは憧れのピアニストで、偶然、ウイーンで初めて生で聴く機会がありました。
高校のときの同級生さおりちゃんと一緒に行ったんです。

あのときの衝撃は今でも覚えてますが、岩で頭をなぐられた感じでした。
超かっこよすぎ!


その後、マスタークラス開催生徒募集というのを見つけて、迷わず応募して
受かったときの喜びといったら!!
みんなすごいメンバーでした。
上原彩子ちゃんとかいましたね。


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ラフマニノフを聞いてもらって、その後、アシスタントのユーリとレッスンで、ショパンの準備してたら、マルタは、また椅子に座って、私の演奏をまた聴いてくれたのです!!!
2曲もきいてもらっちゃった。。。。




そして、夜に室内楽のリハーサルあるけどくる?って誘ってくれたんですね。

マルタに誘ってもらえるなんて、びっくり!! 

そりゃあ、行きますよね。
こんな大ピアニストが、どういう風にリハーサルするのか、見てみたい。



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そうしたら、譜めくりがいるので、他にいないので、私がすることになったのですが、リハが始まる前に、いきなり、シューマンのトッカータを弾きだしたんです。
はじめの1ページぐらい。
そして、私に言ったの。

これ、ウオームアップなのよ。



・・・・・・・
この曲、難曲なので、これ弾く前に、普通、何かをウオームアップして後に弾くであろう曲なのです。
しかし、マルタは、これがウオームアップなのです。笑








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by miematsumura | 2015-03-21 06:49 | 思い出

ソコロフ様のピアノ

私の大好きなピアニストの一人にソコロフがいるのですが、
あまりに素晴らしいので、“様”をつけたいと思います。

彼が弾いたピアノを弾いてきました。
ものすごーく良かったです。

よく響く、と言うか、1音1音がちゃんと味わいある響きで、
弾いていて自分で感動します。
ああ、幸せ。

サイン入り。
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by miematsumura | 2015-03-12 23:22 | 思い出

私の記念日

昨日は4月19日、私にとって特別の日なのですけど、夜、ふとそれに気がつきました。


この日は私達が、アメリカに渡った日なのでした。


あれよあれよと言う間にアメリカに行くことになり、英語の勉強をした方がいいと分かっていても、だからと言って、何をどう勉強したらいいのかも良くわからなかったことを覚えています。(呑気な性格は昔から変わらず。)


ブルーミントンに向かう時に途中、原っぱをつき抜けるのですが、父が運転する横に座って、このいつまでもいつまでも続く原っぱを茫然と眺めながら、私の人生はどうなってしまうんだろうなあ、こんな地の果てやって来て・・・・って、思ったことを覚えています。


寮に入ることになった時、到着した日が日曜日で、日曜の夕食だけはカフェテリアが閉まっているので、皆レストランに食べに行ったり、寮の小さなキッチンで自炊したりするのですが、到着したばかりの私は様子がわからず、周りを見渡してみると、寮の近くにピザ屋があるのを発見。
空港で、ピザが切ったスライスで売られていたのを記憶していた為、ここでも、丸いピザを8等分にでもした1個が買えるかと思って注文したら、丸いままがどーんと箱に入って出てきたので、仰天したこと。

それを部屋に持って帰り食べたが、そんなに一人で食べれるわけもなく、沢山残して、この時ばかりは、家族なしで一人でいることを妙に痛感して、寂しーく思ったこと。


そして、次の日朝起きても、当たり前ですが、そのピザの残りが机の上にあって、いかん、ここには勉強しに来たのだ、と、奮い立って学校に向かったこと。


これがいつも4月19日という日に、思い出すのです。


よくも、あそこから、ここまで地球をぐるぐる回ってやって来たなあ、と、不思議です。
こうして音楽を続けていられることと、その時に知り合った友人が、数日前、久しぶりにメールをくれたり、一人はセビリアまで訪ねて来てくれた友人がいたり、皆、私のことを覚えてくれていて感謝です。
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by miematsumura | 2013-04-20 11:19 | 思い出

ミス・ユニバース

ミス・ユニバース2012が決定し、アメリカ代表のオリビア・クエルポさんと言う方が優勝された、というニュースを聞きました。
(これスペイン系のお名前ですね)
この方はチェロも上手に弾かれる、と言うコメントをTVが言った途端、私は心は、すーっと学生時代のある時に飛んで行きました。


大学時代のクラスメート、バイオリニストのスーザンが、ミス・アメリカを決める大会でめでたく3位になり、その時の大会で彼女の様子です。


大学3年ぐらいの時のことだったと思います。
まず州の大会で優勝し、晴れてフィラデルフィア州の代表になったスーザンは、今度はアメリカの全国大会に参加するんだってー。という噂を学校で聞きました。


確か、冬の寒い時期だったと記憶していますけれど、全国大会は、TV中継していて、家に帰ったらハウスメートが観てたので、私も一緒に観ました。

眩しいばかりのカラフルな照明と、観客の嬌声が溢れる舞台で、国の一大イベント!と言う雰囲気満載!
初めからものすごく盛り上がって、段々選抜されて行って進んでいくうちに、一芸を披露する、と言うのがありました。
ここでは、皆さん歌を歌ったり、踊ったり、と各人得意技を見せるのです。


ここで、スーザンは、バイオリンを持って颯爽と登場し、司会の人との短い会話の後、最後に一曲披露する前に、元気に観客に向かって言いました。

”I am from the No.1 school of music of the United States of America !!”
(私は、アメリカのナンバーワン音楽学校で勉強してるのよ!!)

ここで、観客が、うおおおー!!!と、ものすごく沸いた。



私とハウスメートは、びーっくりして顔を見合わせて、笑った。
ああ、こういうアピールの仕方もあるんだー!って、本当に驚いた!


アメリカは何でもランキングがあって、学校もそれに漏れず順番がついています。何を基準に毎年選んでいるのか知りませんが。
まあ、1番でも2番でも、たいして変わりはないと思うのですけれど、そこで、我が母校イーストマン・スクールは、音楽学校でアメリカ1番なのです。

スーザンは、それをアピール材料に使って、演奏前にそれをしっかり言うとはすごい心意気だなあ、と謙虚の国・日本から来た私は度肝を抜かれた感じでした。

優勝を狙う為には、こういう切り口は当たり前なのでしょうが、音楽の質を磨くために切磋琢磨する日々を送っていた私には、とても新鮮に映ったことは言うまでもありません。


そして、一曲披露した後、観客は沸きに沸いて、彼女はめでたく3位になったわけです。

アメリカ人ってやっぱりアピールが上手いねー、すごいねー、と、ハウスメートと話しました。



そういう懐かしいことを、思い出した午後でした。

彼女は今どうしているのかしら?



ちなみに、その後、私たちの周りで、ミス・00とつけて呼ぶのが流行りました。
(単純ですね。笑)

そこで、厚かましくも私はミス・ジャパン、と呼ばれていました。笑えます。
これは多分、背が高いからじゃないかと推測しますけれど。


そして、クラスで弾く時、“次はミス・ロシアです”、と、誰かがアナウンスして、もしあまりうまく弾けないと、先生が、今日は、ミス・ロシアはあまり調子がよくないです、とか言われるのでした。


なんだか、くだらないことばかりしてたけど、楽しくて幸せだったなあ・・・
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by miematsumura | 2012-12-21 08:39 | 思い出

懐かしき友人

10年ぶりぐらいに大学時代の友人Kちゃんからメールが来ました。

ずっとメールを書いても返って来てしまうので連絡がつかなかったのですが、3日ほど前、ふと、彼女はどうしているかなあ、と思って、一緒にやった面白い話とかを人に話していたんです。
そうしたら、共通の大学時代の現在東京にいる友人が、今夜Kちゃんと一緒にご飯を食べるよ、とメールが来たので、もうびっくり!だってKちゃんはアメリカに住んでいるのに!
このタイミングは驚きです。
おかげで10年ぶりぐらいにメールを交換できたのでした。


私はとても良い大学時代を過ごせたので、思い返すとすごくいい思い出がいっぱいあります。
私は自分の経験から、やっぱり大学と言うのは、寮とかに入って学生ばっかりの中で過ごすのが、自分というものを確立するのに最適かと思うのですが、それが出来てすっごく良かったと思います。

初めは寮の食事に悩んだのですが、・・・・と言うか、悩んだまま、あまりの不味さに解決にはならず、早くアパートに住みたいと願いに願って出たのですが、食事以外はとても楽しかったです。
やはり、日本だと通学時間と言う無駄な時間が沢山あるのはもったいないので、学校から徒歩3分のところに住んで勉強できたのは良かった!
良く思い起こしてみると、例えばピアノ科の生徒は、私の時は、大学に入った時に22人ぐらいいたのに、4年後卒業する時には12人になっていたりして、約半分に減ったのかと思うと驚きますが、結構競争が激しいので、あわない人はさっさと次の人生の為に、他の学校に移って行ったりします。
そこで生き残った子たちと卒業なので、かなり友情は深くなるのかもと思います。
夏にも日本で10年ぶりぐらいに他の友人と会いましたが、パッと昔のようにおしゃべりできて楽しかった。


今回連絡が出来たkちゃんも、学校のすぐ横のアパートに住んでいたので、よくご飯を食べさせてもらいに行ってました。
練習で疲れて死にそうになった時に、ご飯を食べさせてもらいに彼女の家に行くと、なんだか沢山作って待っててくれてるのです。病気になった時も、オレンジジュースを持ってうちに来てくれたり。母のような人でした。笑
サフランライスとチキンのクリームソースとか、覚えています。(メニューまで出しちゃったですよ。笑)
すっごく小柄な彼女と、すっごく背が高い私が一緒に歩くと、私の横で彼女が小走りになっているのが面白かったな。

学生時代の面白い話は沢山あるのですけど、またいつか。
また連絡が取れるようになって、とっても嬉しいです。
いつかまた会ってみたいな。
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by miematsumura | 2012-09-29 23:26 | 思い出

古き良き日本の街 津和野

ちょっと日が経ってしまいましたが、先日、津和野に行く機会がありました。

これが思いのほか、すーっごく素敵だったので、そのお話を。


津和野という街の事は、聞いたことがあったのですが、今回近くに行ったので、親戚もいるということで寄ってみようということになりました。

私にとっては生まれて初めての訪問でしたが、ミニ京都、という感じで、こんな素敵な”良き日本”そのものの街が、今でもある!という感動でいっぱいです。
また、是非、訪れてみたいと思いました。


車で行ったのですが、山陰というのはやはり名前の通り、山の山の山の先、という感じで、いくつもいくつもトンネルを超えて行きます。トンネルを抜けても、また次のトンネルで、これは昔に車がなかった時代、人は一つずつ山を越えて歩いていたのかと本当に感心しました。 
新緑というほどではないですが、まだ新しく美しい緑で、見える風景が心落ち着く雰囲気でいっぱいでした。
日本の山も美しいですね。
またスペインとは違った樹木で、うっそうと茂ったあのなんともいえない緑の感じ、日本の独特の湿気で、ああ日本だなあ、とかなり満足しました。
スペインだともっと乾燥していますので、うっそう、という感じにはならないですから。


駅の後ろには、もうすぐに緑の山です。
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駅前通りのすぐにお団子屋さんが。
その日は閉まってたので、大変心残りです。ああ!!
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画家・安野光雅さんの出身地で、駅の前に美術館があり、すぐ近くにも彼の絵を沢山おいてある喫茶店があります。
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この街は森鴎外の出身地で、今年は生誕150年だそうです。
あの時代に、この町からはるばるドイツに行ったという彼の人生。想像もできないほど遠くの地球の反対側に行ったという人生に、人生とは不思議なものだなあと。人ってすごい距離を動けるのですね。
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巨大な鯉がたくさんいて、興奮している私。
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ここは長崎からキリシタンがやってきたそうです。
なのでこんな古い教会がありました。
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このようなミニ京都、のような風情ある街で、道ですれ違う中学生が、
こんにちは、とちゃんと挨拶してくれるんですよ!
こんな街が日本にまだあるのかという驚きです。素晴らしい!

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日本には素敵なところが沢山ありますね。
また訪れる機会がありますことを願って。
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by miematsumura | 2012-06-07 23:57 | 思い出

懐かしき友人 

懐かしい人に時を経て久しぶりに会う時の喜びというのは、特別のものがあります。
特に学生時代を一緒に過ごした友人というのは、本当に大切な宝です。
その中の一人と、今日、話をしました。その彼女のその昔のお話。


ある日曜日、お昼すぎに電話が鳴りました。

”みえちゃーん、後30分ほどで行くので、プリン作っておいてくれるー?”

”え?プリン?30分じゃちょっとできないなあ・・・”

”じゃあ、ちょっとだけなら待ってあげるから、作っておいて。そこに行くから。”
 (有無を言わせない感じ)

”今どこにいるの?”

”えー、00ちゃんと、お昼に00食べたところ。
デザートにみえちゃんのところに行くので、プリンお願い。”


・・・と、こんな具合に、私をお昼に誘わなかったのに、デザートを作ることを、電話注文した000ちゃん。
そして、素直に言われるがままに作る私。   (私は純粋で可愛かったなあー・・・)

言った通り彼女たちはやって来て、まだ暖かいプリンを、“いいの、いいの”、と言いながら一口。
”美味しー!!”と感激して、後ろにひっくり返りました。



000ちゃんと言えば、このエピソードが頭に浮かびます。

私には素晴らしく個性的な友人が多いです。
類は友を呼ぶ、というので、誇りに思っています。 
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by miematsumura | 2012-03-05 05:16 | 思い出

思いがけず

衣装合わせに行ってきたのですが、お店の人が、あそうそう、と言って引き出しから新聞を出して私に見せてくれました。

何かなと思って見てみると、私の載った新聞記事でした。
お店に来る人に見せてるんだそうです。笑
このピアニストが、うちでよく衣裳買ってるんだよーって。
わざわざ取っていてくれることに感謝!驚きました。
(だって、私は自分のだけど、取ってなかったですよ!)
私はカメラを持ってなかったので写せなかったんですが、ネットにも載っているので見つけてきました。

これ、今見て思いましたが、自分で言うのもなんですが題名が渋いですね。

”松村未英がマヌエル・デ・ファリャに出会う時”

http://www.diariodecadiz.es/article/ocio/644675/cuando/mie/matsumura/encontro/manuel/falla.html


この記事を見ていて思い出した可笑しなことがあったのですけど、
ちょっと今時間がないので、また明日。
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by miematsumura | 2011-12-14 06:49 | 思い出

ピアニストと住処

今は夜中12時過ぎ。真夜中の手前といったところでしょうか。
練習にいそしんでおりますが、ふと思い出したことが。
休憩がてら、書いております。


ピアニストにとって、自宅は仕事場でもあり、何しろ特にピアノは他の楽器に比べても音量が大きく、近所の人々にとってはうるさいので、住処に気を使うわけです。

高校の入学当時、担任の先生が、近所の人に会ったら丁寧に礼儀正しく挨拶をするように、と、私たち生徒全員に言い渡したことを思い出します。
これは、普段からきちんとしていると、多少練習の音がうるさく漏れた時でも、ちょっとなら見逃してくれるであろうという、配慮。


アメリカでは、学校で皆練習するので、この心配はなかったですが、
(寮では絶対に練習はしてはいけない規則だった)
夏休みに、ウイーンに留学する高校の同級生のSちゃんのところを訪ねたときのこと。

日本人の音楽学生ばかりが住む大きな建物で、(きっと日本人は家賃滞納もせず、綺麗に住むので好まれてるのでしょう)、あらゆる楽器の人が住んでいました。
Sちゃんは、角部屋に住んでいて、居間にグランドピアノが置いてあり、一方が寝室、もう一方が台所で、ピアノの置いてある部屋は、隣人には直接壁を隔てていませんでした。

夏で暑かったけれど、練習する時は窓を閉め、居間のドアを閉め、勿論ピアノはふたを閉めた状態で、学校に行ったSちゃんの留守のあいだ、練習を始めた私。

しばらくして、玄関の呼び鈴が・・・・


隣の部屋に住むバイオリニストと名乗る、美しい日本女性が、そこにいました。

”あの、ピアノがうるさくて。ドアを閉めていただけませんか?”

ドアや窓を皆閉めていた私は、内心驚いて、答えました。
”はい、閉めますね。ごめんなさいね。”


さて!どうしようか??窓もドアも、ピアノのふたも閉めてあるんだよう!と悩んで、
困った私はピアノの上に毛布をかけた!
(夏だけど、ピアノだから毛布でも羽布団でもいいのです)

これで、かなりOKであろう。


・・・・が、しかし、また彼女が来ちゃったんです。呼び鈴を押して。



ああ!ラフマニノフよ!!


というわけで、その後、何をどうしたのか、記憶にない・・・
ウイーンには住めないな、と、たかが1アパートの件で、ウイーンの全てを否定しそうになった気持ちが湧いたのは覚えていますが・・・




余談であるけれど、このウイーンの滞在で、初めてマルタ・アルゲリッチを生で見たのである。(見たというか、聴いたのだが・・・・)
復帰初のコンサートだったそうだが、もう大ファンの私は、舞台に出てきたマルタを見ただけで、しびれて椅子で動けなくなったのを良く記憶している。
曲はラベルのコンチェルトであった。
このマルタに実際に会って、ピアノを聴いてもらう機会があるとは、この時、全く夢にも思っていなかったので、人生はどうしてなかなか悪くないものである。



話は戻って、私の大学の教授が、ロシアからアメリカに移ってきて、初めの1年ボストンのニューイングランド音楽院で教えていた時のこと。

ボストンは大都会、彼女は街中のアメリカで言うところのアパートに居を構えた。
(日本で言うところのマンションですね)
典型的なロシアン・ビューティーのナターシャは、おお!と目を見張るぐらいに美しく、背もすらりと高い。(私も実際始めて出会った時、同性ながらしびれた。笑)
なので、アパートの入口に郵便ポストがあって、郵便などを取りだしたりしている時や、廊下ですれ違う時は、同じアパートの人と会うと、皆もう、とびっきりの笑顔で、挨拶をしてくれたのだそうだ。
”ボストンは、もう慣れましたか?”、”何でもあったら僕に言って下さいね”などなどの言葉と共に。


・・・が、一週間、二週間もすると、その光り輝く笑顔はみるみる消え、麗しのナターシャに出会う人々は、険しい顔になっていった・・・・



何があったのだろうか???



そう!そうなのである、賢い読者の皆さんには、分かるでしょう?

え?分からない? (わけないよね?わからない人は、コメントにどうぞ。是非、お会いしてみたいです。)



ピアノがうるさいんですよ!
このミス・ロシアでさえ、ピアノの音には勝てなかったのです!!!!



(笑えるのは、この話はこのミス・ロシア本人から聞いた話ということです。
いかに、初めこれらの隣人たちが愛想が良かったかを、実現して見せてくれたことが
懐かしい・・・・)



というわけで、今の私の住処は完璧でございます。
皆近所の人は、微笑んでくれますし、動物、特に犬は歌ってまでくれるのです。
私はなんて幸せ者なんでしょう!



というわけで、練習に戻りますね。
皆さんごきげんよう。
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by miematsumura | 2011-09-10 07:48 | 思い出