ピアニスト 松村未英 の  スペインの日々
by miematsumura
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ぺドロ・リカルド・ミーニョと鶏

最近動物ネタが続いているが、昨日驚いたことがあったので、また。

ペドロ・リカルド・ミーニョというフラメンコ・ピアニストの家にずっと6年ぐらい前から遊びに来るように誘われていたのです。
ピアノが2台あるから遊ぼうぜ、という文句で。

とうとう行ってまいりました。

彼のお母さんはぺパ・モンテスはトリアナの伝統を受け継ぐ数少ないダンサーです。
お父さんは沢山録音もして有名ギタリストのリカルド・ミーニョ。


初めに行くと、黒い長い毛に目の周りが青い犬が出てきて、
”おお!やはりフラメンコアーティストは犬にまでお洒落をさせるのだ!”と思ったら、
それは違うようで、ただ毛が目に入って薬をつけているだけだそう。真っ青な色の薬なのかが謎ですが。

そして、ペドロ・リカルドが言いました。”ポヨもいるんだ”。

え? ポヨ=鶏??と思うと、ペドロが ”ロッキー!”と呼びました。
(スタローンのボクシングの映画からとった名前だそうです。すごいね)

すると、真っ赤なトサカをつけた茶色い鶏がわさわさとやってきた!!  

なんと、彼は犬も飼っていたが、鶏を飼っていた!! ああ、負けた!!


かなり大きいです。だっこ出来ないと思う。つつかれそうだ。私は鳥が怖い。
鶏なのに、犬の餌しか食べないそうな。
そしてもっと鶏がいたけど、食べちゃったので、このロッキーだけになったんだそうな。

食べたって・・・・・割とこのあたり、スペイン人はシビアで、動物=食べるもの、と割り切って解釈しているふしがあります。
(カメラなど持ち歩かないので写真が撮れませんでしたが、茶色のトサカが赤い、体も態度も大きな鶏を想像してくださいね。)
彼が練習しているとドアの外で犬と鶏が一緒に歌うんだそうな。
面白すぎます。これは実際見なくては!(鶏ってそんなに賢いのだろうか?)

ギターがずらりと15丁ぐらい、他にも色々な楽器が壁に飾られ、いっぱい写真が飾ってあって、博物館のような素敵なサロンでした。
何と、ペドロ・リカルドが4カ月の時に、ママ、ぺパとパパ、リカルドは日本に4カ月仕事に行ったのだそうです。
だから、先日の日本の震災のコンサートでは彼が出てくれたのです。日本には特別な感情があるのだよ、と言って。どうも有り難うございます。

この家族は何かと日本にゆかりも深く、90年ごろには、バンドのプリンセス、プリンセスの鳥居香さんがTVの番組で1週間滞在する、というドキュメンタリー体験をこの家でやったそうです。
彼女が全くスペイン語が喋れなかったので一家は驚いたそうですが、
(それはまあ普通だと思うけれど)、
最後の晩にフィエスタをしたら彼女は涙を流して感動したそうな。
その時に、彼女は初め自分がどこの国にいるのかも知らなかったようだ、とか、
(そんなことがあり得るかちょっと疑問だ)、
常に何かあった時の為にタクシーが1週間8台常に家の前に用意されていたとか、スペイン人独特の、(アンダルシア独特?)大げさな言い回しを話してくれました。

その後弾き合いをしたり、またお茶にして、芸術やフラメンコの行く先について話をしたり、食べて喋ってと、パパ・リカルドが作曲したブレリアを一緒に弾いたり、すごく楽しかったです。


次の訪問は、6年後と言わず、もう少しすぐあると良いなと思います。


そういえば、彼に何故ギターではなくって、ピアノを始めたのか、という質問をしたら、
1歳の時に子供用のギターをもらったけど、いやで放り投げちゃうので、ピアノになった、と言う答えが。
意味が分かるような、分からない様な・・・・
つまり、ピアノは重いので放り投げれないから、という意味かなあと思ったのですけど、皆でおしゃべりしていたので、そこに突っ込むのを忘れました。
今度聞いてみよう。。。。
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by miematsumura | 2011-06-27 08:07 | イベント

ネコの素晴らしさについて

先日、犬の素晴らしさについて書いたら、友人からネコを褒めろとメールが来ました。
なので、今日はネコちゃんについて書かせていただきます。


私の従弟が猫を常時3-5匹も常時飼っていたり、子供の時から身近にいた動物です。
ネコちゃんは。

以前、数日留守にするからと、知り合いの3匹のネコのえさやりを頼まれました。
家に到着すると、みゃーみゃーと寄ってきて、お、早速なついて可愛いな、と思い始めたら
ご飯を食べ終えたら、すーっといなくなってしまった。

あれ?  ・・・ネコにはしっぽを振るとか、愛想はないのであろうか?


次の日にまた行くと、敷地に到着して家に歩いてくる私をじーっと窓から見つける3匹の猫が見えました。
お、私のことを待っているのだ!来た甲斐があったな、猫って可愛いかも、と思い始めたら、ネコは3匹一緒に、ただただ、じーっと私を見つめているだけだという事に気がつきました。尻尾を振るわけでもなく。笑みをうかべるでもなく。

あれ?  ・・・ただ見ているだけかあ。 嬉しくないのかあ。 ・・・ふむ、どうしたものか。


その夜、その家に泊まったのであるが、その愛想がないと思われた猫は、早々と私が寝る場所を察知して何と私のベッドの上に先に寝ていたのであります。
3匹が、どんとそれぞれ丸まっていたので、お客の私は申し訳なく遠慮がちに自分のスペースを確保し、何とかベットにもぐりこみました。
でも、皆一緒に朝まで寝れて、そんなことができる猫って案外可愛いのかもなと思いながらまどろみ、朝目覚めてみると、私一人になっていました。
 

あら?ここで、わんこだったら、ペロッとほっぺにおはようのキスでもくれるんですけど。
ネコはさっさと去ってしまうのかあ。



さて、次の晩、今日は一人でのびのびと寝ようと、すぐに寝室のドアをぴっちり閉めて寝る用意をしました。
すると、寝室の外で3匹そろってみゃーみゃーと鳴き始めました。
その晩はのびのびと寝がえりをうつ予定にしていた私は、ネコの声を無視したけれど、ネコは構わず、ずーっと、ずーっと10分も鳴き続けました。
私が、とうとう我慢できずにドアを開けると、猫たちはさっと滑り込んできて勝手にベッドに上がり、さっさと丸まって休みだしたのです。
何という早さ!
でもドアを開けてくれて嬉しい仕草もなく、もう丸まって寝ている!!
だけれど、また同じベットで皆一緒に朝まで寝れて、猫って可愛いのかもなあと、うとうとして眠りにつきました。
そして、またしても朝目覚めてみると、私一人になっていました。

あらら、わんこだったら、ペロッとほっぺにおはようのキスをくれて、私に体を摺り寄せておはようのあいさつをくれるんですけどね。
もう、尻尾もちぎれんばかりに振りながら。


ああ、わんこって素晴らしい!

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by miematsumura | 2011-06-23 08:51

犬と芸術

犬、という生き物がいる。

私はこの生き物がとても好きである。
世の中では、イヌ派とネコ派であるかを問う傾向にあるが、私は断然犬である。
犬!犬!犬!

犬は、素晴らしい。
ドゴ・アレマン(ジャーマン・ドゴ)のオスで、マンボと言う名前の犬を飼っていた。
これは巨大犬で、成犬になった時は、後ろ足で立ち上がると私の顔の前にマンボの顔が来るぐらい大きかった。
体重、80kg。
生後2週間の時に初めてあった時は、顔はぶちゃいくで心配したものだが、大きくなったらすごく可愛くなった。
性格は驚くほど優しく、ちょっと間抜けで甘えん坊であった。
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彼が1歳半の時に転機が来た。

近所に同じ種類のサパという雌犬がいて、我が家に遊びにやってきたのだ。
そこでマンボは恋に落ちたのである。

昼間は庭で走り回って遊んでいたが、夕方になるとサパは良い家庭の子なので家に帰る。
そこでマンボは悲しくって、悲しくって、彼女の家の方角を向いて座ってご飯も食べないぐらいであった。
その時、私はグラナドスのゴエスカスを弾いていた。
”嘆き、またはマハと夜鳴鳥”のメランコリーなメロディーが彼の悲しみを誘ったようで、ここで彼が歌い出したのである。
私が30分弾いていると、30分ずっと歌っている。
あまりに悲しく感情をこめて歌うので、とうとう私がいい加減にしてくれと言ってもやめなかった。まさに”嘆き、またはマンボと夜鳴鳥”である。

それ以来、私が弾くといつも歌うようになった。



マンボが歌い始めて数ヵ月後に、弟分のわんこが来た。
ポッキーという名前である。ちなみにこれはスペイン人の夫の命名であるが、日本のお菓子と、マンボに比べてあまりに小さいのとにかけている。
ポッキーはいつもマンボが歌っているのを興味深そうに見ていた。
しかしいつまでたっても見ているだけで歌わないので、これは性格の問題か、犬にもよるのかと思っていたら、ある日、突然歌い出したのである。
彼のそれは、よりロングトーンで素晴らしかった。

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彼らのレパートリーは大変広く、スカルラッティ、バッハからベートーベン、リストやショパン、シューマンやラフマニノフ、スクリャービン、ドビュッシーなど多岐にわたり、勿論、アルベニスやファリャなどのスペインの曲も、フラメンコのマラゲ-ニャなどまでも得意である。
ホセ・バレンシアやボボテが唸るぐらい上手いのである。
マンボとポッキーは素晴らしいデュエットで、近所でも有名であった。
彼らは練習にも大変熱心で、夜の2時でも歌う。
踊りにも興味があるようで、じーっと見つめている。サパテアードにも興味しんしんである。
特にレオノ―ル・レアルがお好みのようである。
私としては音楽の方で進んで欲しいと思っているが。

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セビリアにはマヌエル・ボルケス、というフラメンコの批評家がいて、新聞にも批評を載せたりしているのだが彼が我が家の犬の歌の才能を知り、大変感激してメールをよこした。
”これは驚くべきことだ!犬が歌うとは!”

ええそうでしょう。何しろ、うちのわんこ達は、日本語、英語、スペイン語がわかり、そして歌まで歌えるのです。

そして、ボルケスは自身が飼っている犬、ジェパードにも私に負けじと教育を行ったようである。すると、とうとう歌ったんだそうだ。
彼は感激し、犬の写真と共にそれを自身のブログに載せていた。


すると、今度はダンサーのロシオ・モリナが、彼女は昨年スペインの国家舞踊賞を受賞したぐらい新進気鋭なのだが、先日ロぺ・デ・ベガ劇場で初演した彼女のショーで犬が歌うのに合わせて踊ったそうだ。
この犬が吠えるのは録音で、舞台では本物の犬が舞台で座っているそうであるが、以前彼女が我が家に来た時、マンボが歌っていた。
彼女のインスピレーションは、マンボから来たにちがいない。

ちなみに、この犬は、ロシオと共に世界中を旅して回るのであろうか?
今後の参考にしたいものである。
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by miematsumura | 2011-06-19 09:32 | 芸術について

夏の定義

あれからたった3日ほどで、”夏の始まり”、などと気取った感じではなく、しっかり夏になりました。

夜12時でセビリアは30度だったそうです。
でも日本のサウナのような夜30度とは違います。
日本の夏は怖い。
案外ここの夜の30度は涼しいのですが、やはり日中の日差しの強さが、暑い。
じりじりと干からびる。

私には、しっかり夏です。
と言っても、ここの人はこれはまだ夏ではないというかもしれないけれど・・・・


アイスクリームを買う時に、アイスをすくっているお姉さんに愛想におしゃべりのつもりで、お姉さんに”夏が来たね”と言ってみました。
すると、彼女は手を止めて私を見上げ、真顔で、”これは夏じゃあないわよ”と言いました。

まるでアイスクリーム屋に、”ここは電機屋ですか?”と聞いたら、”いいえ、違います。”と否定されるかのように、あまりにきっぱりと真顔で返されたので、
私も返す言葉なく、”・・・・そうですね”、と言いました。

・・・・このあたりが、私はまだ日本人であろうか。
いや、ただ、ここで夏の定義について論じるのは面倒であったのだ。
さっさとアイスクリームが食べたかったのだ。。。。。と思う。


3日ほどで、杏がより赤くなりました。
が、いつごろ食べごろなのかがわかりません。
去年いいかと思って取ったら、早すぎで硬過ぎて食べれなかった。
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レモンは、去年は冬に雨と大風で、植えたばかりの木が斜めに傾き心配されましたが、今年は根ついて安心。
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by miematsumura | 2011-06-17 07:47

スペイン記念日

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ふと今日、気がついたのだけれど、初めてスペインに来たのは、今頃でした。


私がスペインで初めて踏んだ地が、セビリア。
あの時の太陽の眩しさと乾燥した空気の熱さ、大きなヤシの木が揺らめいて、その上の青い青い空、東洋の瓦が載った不思議な建物。オープンな雰囲気の気の良さを表した現地の人々の表情や動き。
日暮れになったらコンサートを始めるというのが夜10時で、実際に始まったのが10時半で、あまりの遅さに驚いた記憶があります。

セビリアは、それまで行った事のある他のヨーロッパの都市・・・パリやブルッセル、ロンドン、ウイーン、チューリヒやジュネーブ、ミラノ、フランクフルトなど、結構色々な場所に行ったことがありましたが・・・と皆違っているのがすぐに分かりました。
ここで、フラメンコを聴く機会があって、ああここに何か私が今まで見たこともない何かがあるな、と直感で感じました。

その後、マドリッドに行ったのだが、マドリッドは、パリにちょっとブエノスアイレスの要素を足しただけ、という感じで、綺麗で素敵なんですが、セビリアほど特に強烈な印象を私にはくれなかった。 (ごめんよ!マドリッド)

バルセロナに行く機会もあったが、あそこはフランス風すぎて、勿論スペインなのだけど、アンダルシアの後に行くとキャラがちょっと薄い印象が。
やはりバルセロナは綺麗にきちんと整いすぎで、良いんですが、何というか”アク”がない。
素晴らしい日本レストランはあるのですけれどね・・・・  (ごめんよ!バルセロナ!)

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初めてスペインに来れることになった時、わくわくしていた私がたまたま読んでいた本が
バレリーナのマイヤ・プリセツカヤの”闘う白鳥”という、彼女自身が書いた伝記であった。
今、この本は日本の家にあって、私の手元にないので詳細が定かではないが、中に、スペインに関する章があった事を記憶している。
彼女がスペインの国立バレエの監督をしていた数年を取り上げた章である。

これがいかにスペイン人というものが、なんと不思議な人種か、とプリセツカヤが書いていて、例えば、今日が木曜日だとして、週が明けた火曜日の朝から始める、と言っているのに、何故か、次の日、金曜日になってみると、どこからともなく沸いた不思議な理由で、それは火曜の午後にずらされ、週が明けて月曜日になって見ると、それは水曜日の朝から始まることに変わっていて、更に何故か団員が、どこから聞いたのかわからぬが、皆それを知っている。という具合である。

日本とアメリカでしか暮らしたことのない私には、そのプリセツカヤの文章に行ったこともない謎のスペインを感じた。恐怖、というのとは違うけれど、怖いもの見たさ、というか、実際に行ってみてみたい!とすごく興味をかきたてられたのである。

それにしても、ラテン系の国に、いつもこのようなイメージがあるのだ。
その時ブエノスアイレスに行った経験があった私は、その不思議さが感覚的になんとなく想像できる気もしたが、しかし、国立バレエでそんなのだったら、他の普通の人々はどうなんだろうか?でも、バシキロフが教えているのがマドリッドだし、あんな高名な教授がいるぐらいなら、やはり何かすごいこともあるのでは、と、勝手な解釈で、まだ見ぬスペインに想いを馳せていた。

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セビリアで私が泊まった家は、ドアが125個あるのよ、とお手伝いさんが自慢げに言うような大邸宅であった。
そこのレイラと言う名のモロッコ人のお手伝いさんは、ある日モップで床を拭いていたが、土ぼこりで真っ黒になった水も全然交換せずに、モップをこの黒い水につけては絞り、つけては絞り、彼女にとっては洗っているつもりなのだろうが、私には掃除しているのか、汚れを広めているのか分からなかった。そこで口を出しても何も意味しないことを直感的に私は感じていたので、ただ黙ってそれを見つめていた。
今でもそれが非常に記憶に残っている。


夜になるとどこからかギターが聞こえてきて、お昼間の残りの土臭い熱気、ざわざわ揺れるヤシの木にジャスミンのふわっと甘い花の匂いして、ああ、私は今スペインにいるのだなあ、と感じたのを覚えている。



2011年の6月の今日、私はこの国、この街に静かに住んでいる。



人生に乾杯!




注意・・・・スペイン人の名誉の為に付け加えますが、このお手伝いさんがこう言うスタイルの掃除法だっただけで、スペイン人はすーごく綺麗好きです。本当に日本人よりも!どんな家に行ってもいつも綺麗に方付けられていて、床もぴかぴか。棚もピカピカですよ。
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by miematsumura | 2011-06-14 23:27

夏のはじまり

今年は例年より涼し目だった気がしますが、
それでも、もう6月半ば、だんだんと夏の日差しになってきました。
日暮れも10時ごろで日が長いのです。
だからお昼寝をするのでしょうね、この国は。
暗くなるころに夕食をする気分なので、夕食は夜10時。


去年2個だけ実をつけた杏の木も、今年は25個も実がついてます。
急に3日ほど前から赤く色が変わりました。
前は皆緑色だったのが今は遠くから見ても赤いのが分かって可愛いです。
ちょっと虫がついたようですね。
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オレンジもピンポンの玉ほど大きく育ってきました。
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オリーブの実も、指の先ほどの大きさに。
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スペインでは、時間と温度を5秒ごとぐらいに交互に表示する電子時計が、街中そこらに沢山あります。
これで毎日いつも何度ぐらいかチェックして、あ、今日は35度、まだいいな、とか、あ、もう40度になったな、と見るのです。
日本のように湿気がないので、温度が高くても暑く感じないのです。
でも、ある夏に、セビリアでは57度を記録したのを覚えています。
あれはすごかったなあ・・・

今年の夏はそこまで暑くならないことを願って・・・
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by miematsumura | 2011-06-13 01:34 | スペインの暮らし

アントニオ カナレスに出会った日


アントニオ・カナレスは、どこからかこのコンサートの事を聞きつけてメールをくれました。
”僕は是非、日本の為に踊りたいんだよ。いつなのか教えて。”


私は感動しました! おお!アントニオ!有難う!

アントニオが出たら、メディアの注目も集めて宣伝にはもってこいでしょう。

しかし、メールを読んでいくと、

”でも、ぼくが踊るのは未英のピアノとだけだ。僕はアルベニスのグラナダを踊るのだ。
それだけだ。それ以上は踊らない”



・・・・。



はたして、彼を見たくてチケットを買ったお客さんは、たった4分ほどの彼の踊りを見て満足するのであろうか???
という謎が、私の頭を渦巻いた。


でも、結局他の仕事が入っていたのでこれなかったのですけれど。
お気持ちだけでもすごく嬉しかったです。有難う。




アントニオ・カナレスと、私の出会いはマドリッドでした。

マドリッドにスーマ・フラメンカ、というマドリッドでは一番大きなフラメンコ・フェスティバルがあります。
そこに私は、セレナータ・アンダルーサで出演しました。
2009年の春のことです。

ラファエル・カンパージョとを迎えてのコンサートは大成功で、
終演後、私たちは来てくださった友人と楽しくおしゃべりをしていました。
カナル劇場は出来たばかりで、実際、ここのピアノは私が初弾きだったぐらい新しかったですが、この劇場、テロ対策なのか、いくら身内やなんであろうが観客は楽屋のアーティストには会いに行けないようになっていて、何と皆さん、私のことを待っててくださった方々、出口の外の道で待ってくださっていたのです。
雨じゃなくて良かったですけれど、でも関係者ぐらいは楽屋に行けるようにしないと、ちょっと困っちゃいますね。

色々懐かしい顔が沢山あって、楽しくおしゃべりしてたんですが、そこに、マネージャーさんが。
”未英、アントニオが会いたいと言っている、そこのBARにいるそうだ。サウラも一緒に待っている”と言うので
”アントニオ?誰?”と言うと、
”カナレスだ”。

ちょうど、バレリーナのタマラ・ロホのご両親とおしゃべりしている時でしたが、
私が、”カナレス?誰?”と言うと、タマラのご両親、黙りました・・・・


ごめんなさいね。無知で。
だって私ダンサーじゃないのですもの。
サウラさんは分かりましたわ。私でも。



でもたくさん人がいてくださったので、ご挨拶にそこでまだしゃべり続けていると、
また”アントニオが早く来てくれと言っている”とか何度も電話が。
とうとうせかされて、その場所に行きました。


BARに入った途端、”Que bien tocas! ((なんで上手に弾くんでしょう!)”
私にバッと飛びついてきた大きな人影が!



これが彼でした。



にこにこしながら、あそこが良かったー、ここが好きだったー、と言ってくださって、彼はとても優しく気を使ってくださって、飲み物を頼んでくださったり、いろいろおしゃべりを楽しみました。

でも、何故か、”キミの左手は危険だ”、と10回ぐらい繰り返していました。



なんだろう? 私の左手って?



キミのピアノで踊りたーい!
と連発して下さったので、のちにセレナータで一緒にすることになった次第です。



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へレスフェスティバル終演後のアントニオと私。

何故かずっとバスローブのまま、楽屋に来るお客さんにお会いしてらっしゃいました。
お茶目ですね。

ここでも私の左手握ってますね。 ふふ、なんだろう?
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by miematsumura | 2011-06-11 06:41 | 思い出

続続 東日本震災支援コンサート

コルドバのコンサートは、金曜日だったのですが、芸術監督のハビエル・ラトッレが何と、
水曜日に自宅の階段から落ちて骨折。
松葉つえをついての参加となりました。


このあたりになってくると、アクシデント続きなので、腹が据わった、というか
ここまで来るのに、2ヶ月半ずっとやってきて、その中でも色々難局が何度かあったので、慣れたというのか、
(勿論、足の骨折、特にダンサーにとっては、大変に気の毒には思うのです)
多少のことには驚かなくなった気がします。
逆に、このようにいろいろ起こった方が、雑念が消えてするべきことだけに集中できる気がしました。

義援金を外国から日本に送ることも大事なのです。
これだけ震災から日が経っても、今まだ体育館に寝起きしてらっしゃる方もいるわけですから。

ただ、それだけでなく、同時に、フラメンコというスペインの他の芸術ー闘牛も文学、バレエ、そして音楽ーに大きな影響を与えた芸術、これからの日本への支援にこだわった。
何故なら、フラメンコは日本があったからこそ、ここまで発展したと私は考えるからです。

フラメンコの発生はマドリッドでもバルセロナでもなくアンダルシアであり、
アルベニスやファリャが見たり聴いたりしたフラメンコはアンダルシアのものであり、
そのことの重要性を認識してここから活動している音楽家としての、この公演を実現することは私の義務であると思うからです。
世界で日本にだけフラメンコを通しての友好の賞を授与し、それならば、日本が震災で苦しんでいる時も、友人として手を差し伸べるべきである。
クラシック音楽が明治時代ごろから日本に入ってきて以来、どんどん発展して今日では世界で活躍する日本人音楽家が沢山います。私もその中で子供のころから勉強してきたおかげで、こうやっていろんな発見をすることができるのだと思います。
フラメンコはまだそれに比べて新しいけれど、小松原庸子さんをはじめとする方々がこの約40年ぐらい、フラメンコを日本で広める活動をされたからこそ、今日の日本のフラメンコがある。
偶然にも、フラメンコに全く縁のなかった私がフラメンコを知るのも、小松原さんが興されたイベントがもとですし、その私が、スペイン人も含めてクラシックの音楽家で初めてフラメンコとスペイン音楽の出会いの作品を創ったこと、沢山のフラメンコのアーティストとも親交があることに運命を感じます。
今回の日本の震災の件は、これからの未来にむかう中で、大きな節目になると思いました。
そこで多少の問題があるといっても、目標を曲げてはいけないと思います。

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当日は、素晴らしいお天気にも恵まれ、骨折した彼の仕事をカバーするべく、朝からコルドバ入り。
毎回、この街に来るたびに、京都を思い出します。
コルドバは盆地で、車で行くと、何もない原っぱから、突然丘を抜けると街が見えてきて、毎回、あっと驚く感じ。
特に今の季節ひまわり畑がいっぱいで、見渡す限り黄色だったり、気持ちよかったです。
旧市街が塀に囲まれていて、小じんまりした雰囲気でそろそろ観光シーズンです。
春のお祭りも先週あったところ。
有名なパティオのコンクールもあります。盆地なので夏はすーっごく暑いです。


アクサルキア劇場はとても綺麗で、解放感がたまりません。

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ラ・モネタの練習風景です。
こういうコンサートって、ピアノのリサイタルとは違って沢山人がいるので、
なんだかピクニックにいっているような気持ちがしました。


コンサート開演は日暮れ時の夜10時から。
ハビエル・ラトッレのスピーチで始まり、
スペイン駐在日本大使と文化参事官もいらして下さり、大使もスピーチくださいました。
主催者ということで、初めに私が出ました。
演奏の前に皆さんにこの日お越しくださったお礼を申し上げ、
グラナドスのゴエスカスから、los requiebrosを演奏したのですが、今回、特にこれを選んだ理由をお話して演奏しました。

後日、新聞の批評に”un prodigio de sensibilidad y buen gusto”(a miracle of sensibility and good taste/繊細さの奇跡とセンスの良さ)と出たので良かったと思います。


何と14組も、踊りやギター、歌、ピアノ、コルドバのギターオーケストラも参加して下さりました。
皆さんに、参加くださって有難うございます、とお礼を申し上げたのですが、皆さん、これぐらい何でもないのよ。声をかけてくれて有難う。とすごく優しくって、いい方ばかりでした。
ギター・オーケストラの指揮者のイエロ氏は、今回初めてお会いしたのですけど
一見、気難しく見えるのだけど、実際お話ししてみると優しくすごく面白い方で
9年もギタリストのビンセンテ・アミーゴを共に日本と行ったり来たりしていたそうです。
指揮棒が手から飛んでいったぐらい演奏ものりのりで、お客さんも大盛り上がりでした。

司会は国営ラジオのコルドバ局のホセ・アントニオ・ルゴさん。
とても気さくな方で、奥様と共に音楽に造詣が深く、スペインの音楽についていろいろお話しました。

フラメンコのピアニストのペドロ・リカルド・ミーニョが、こうして出演くださって嬉しかったです。久しぶりに彼の演奏を聴いたのですが、前よりもさらに上手くなっていて、彼はクラシックも勉強したので、私と話が通じるところがあり楽しいのです。


こうして何と4時間もコンサートは続き、皆拍手喝さいで大盛り上がりでした。
最後はフラメンコポップのグループが出てきた時は、皆、手拍子になって、立ち上がって踊りだしたりで
最前列に座ってらした日本大使や州政府の方や小松原さんたちの前にいって踊ってる人もいたので、大使はびっくりされたのではないでしょうか。
これで,更にスペイン通になられたことうけあいです。
最後は出演者皆が舞台に上がって、観客も皆立って拍手してくださって、すごく一体感のある良いコンサートだったと思います。
お客さんはスペイン人ばっかりだったので、日本の方にも見ていただけたら良かったなと思います。
こうして、沢山の方々に協力していただいて無事終えることができたので、協力くださった皆様に本当に感謝です。
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by miematsumura | 2011-06-09 08:15 | 東日本震災支援コンサート

続 東日本震災支援コンサート


アンダルシア州政府の援助をとうとう取りつけてからは、
フラメンコ機関のスタッフの方が沢山助けてくださいましたが
そこに行くまでがすっごく大変で、そこにたどり着いた後でも、
政府の参加が早くはなかったので、
大きなコンサートなので準備が間に合わないかもしれないから、
スタッフから、数回、延期しようかとか言う声も聞かれました。
(スタッフの方はすーっごく働いてくださって、
はっきり言って、スペインという国は、こういう人がいるから動いているのだと、再確認。
スペインにも、少なくとも10-20%ぐらいは こういう人がいるのです。)


しかし、延期をそこでしたらもう絶対しないであろうし、
今までの苦労も水の泡になるであろうし
そうすると、日本に対するスペインの政府の公式支援事業が
何もなくなってしまうと思いました。
これは支援であることも勿論ですが、日本のメンツの問題でもあると思います。

やっぱり私がしおれると話が進まないので、
ここまで一緒にやってくれて有難う、とにかく進んで頑張ろう!
あと少しだ、と焚きつけてきました。
そうしたら、わかった、と妙に素直に納得してくれて、
本当に夜の10時とかでもメールがきて、返事を書くとまた返事が来たり
公務員なのでお休みのはずなのに、日曜日でもメールが来たり、すごいんです。
彼らも先祖が日本人かも。
スペインって面白い国です。
他人の国の話なのに、こんなに一生懸命やってくださる方に出会えたことを、
まず感謝したいと思いました。



が、しかし。



セビリア公演に出演してくださる事を、快く承諾してくださった
へレスのダンサー、アントニオ・エル・ピパが
公演の次の朝にメキシコに公演に旅立つチケットが、
1日間違って早く購入されていたことが発覚。



・・・おお!スペイン! (って、これはメキシコ側のミスなので、 おお!メキシコよ!)



アントニオは、私がスペインに来たばかりのころすぐに出会って舞台を見てきましたが、
独特のオーラがあります。
先日もNHKの番組で、女優の黒木メイサさんがへレスに来て、
フラメンコのレッスンを受ける、というので,教えていらした方です。
すごくいい方で、今回も何度も行っている日本の為に参加するといってくださってたのに!


そんなこんなで、やっとポスターを刷るところになって、
絵はあるので文字を載せるだけなのに,
これをデザインする人が、すっごくゆっくりだった!!
ここで、5日ぐらいロス。
そして、とうとう刷りあがったのを見たら、
どこでチケットを買えるかが載っていなかった・・・・・



おお!スペイン!



ポスターは刷り直しで、また同時に、ある銀行のチケットサービスで、
インターネットからも購入できるようにしたのですが
何故か、UPするのに時間がかかり、そこでも4-5日ぐらいロス。
そこに連休が重なり、鈍行列車のような、いえ、亀の行列にいるような錯覚が・・・・


そこに、ホールの持ち主が、値段を釣り上げはじめ、これは大問題に。
他人の国の為のチャリティーコンサートですし、スペイン大不況ですからね。



そんなこんなで、本番2日前に、セビリア公演、延期決定。




おお!スペインよ!  なんと、”退屈” という言葉が、当てはまらない国!




夕方5時半からの会議でそれが決まり、
私が6時過ぎにはラジオにライブ放送で出演するのに行かないといけない予定だったので
ラジオ放送で私が発言するよりも先に、公式連絡を出していなければいけない、ということで
急遽、皆公式の延期のお知らせを出すのに電話やメールで大騒ぎ。
アリの巣に水を落としたような感じでした。
なんだ、やろうと思えば早く動けるんだ、と内心思った私です。
私もラジオ今日に向かうタクシーの中で、突然のこの変更をどう言うか準備しました。
一番のポイントは、ただ技術的な問題での一時的な延期なだけで、
コンサートはやります、というポジティブな姿勢でなくてはいけないということだ
と思いましたので、セビリアの事は軽くふれるだけにして、コルドバの宣伝に努めました。

http://www.eldiadecordoba.es/article/ocio/988460/artistas/flamencos/participan/un/espectaculo/solidario/por/japon.html


ちょっと忙しくていっぺんに書ききれません。
まってね。
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by miematsumura | 2011-06-07 17:32 | 東日本震災支援コンサート

東日本大震災チャリティーコンサート


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2011年3月11日金曜日、地震が起こった日、私はセビリアの自宅にいました。

日本で地震があったけど、大丈夫?と、携帯に電話がかかってきた時は、
日本は地震がよくあるのでそういうのかなとよくわかってなかったのですが、
昼食に入ったBARのTVで津波の様子を見たときは、仰天しました。
だって、すっかり皆流されてるんですから!

とにかく何かしなければ、とその日から動き出し、色々電話したりメールしたり、
週が明けたら、アンダルシア州政府の文化省フラメンコ機関にコンタクトを取って
お会いし、協力を呼び掛けました。

とにかく大きなイベントなので、このコンサートのための委員会を組織して始めましたが、
沢山の方々の協力を得ることができ、本当に感謝しています。

委員長になってくださった、アンダルシア国際大学理事の
ホアン・マヌエル・スワレス・ハポンさんは、ご先祖が日本人で、
彼自身は日本にいらしたことがないのですが、彼の従弟がこのハポンという苗字に
興味を持って、系譜をお調べになった方なのです。
(詳しくは遠藤周作氏が書かれた”侍”という本で、支倉常長が伊達政宗の命を受けて
ローマ法王のもとに派遣されるお話をご覧ください。
その時にスペインに残った日本人が皆ハポンという姓を名乗ったのが始まりです)


スペインを代表する芸術のフラメンコは、日本という国なしでは発展はありえないと思っています。
そして、フラメンコはもはやフラメンコのためだけのフラメンコではありません。
他のあらゆる芸術にインスピレーションを与え、例えばファリャやアルベニスなどの
クラシックの音楽も、フラメンコがなければ、半分以上の作品も存在しなかったでしょう。
特にファリャのピアノ曲なんて、大部分がそうです。

日本にはアンダルシア政府はフラメンコを通しての友好の賞をあげてます。
このような賞をあげているのは、世界広しといえど、日本にだけ、なのです。
だから今回のこのコンサートによって、日本とスペインが更により友情を深めることが
できれば、と思いました。

日本のフラメンコのパイオニアとして小松原庸子さんと小島章司さんをご招待。
スペイン側からは、クリスティーナ・オヨスさんとマティルデ・コラルさんを主賓として
ご招待しました。

ポスターには、以前から著書をいくつか読んでいた堀越千秋さんという
マドリッド在住の画家の方に、先日たまたまお会いする機会があったので、
是非、お願いしましたら快くご承諾くださって、あっという間に絵を送ってくださいました。
すっごく早くて驚きました。本当に感謝です。

ハビエル・ラトッレという、ダンサー、また素晴らしい振付師である友人も、
彼の住居地であるコルドバで日本の為にコンサートを企画していたので、
これも一緒にアンダルシア政府の主催になるように働きかけ
2個が連続してなるように日もそろえ、もう耳から脳みそが出そうなほど
忙しく走り回ってました。

チャリティーコンサートなので、無償での出演をお願いしたわけですが、
快く承諾してくださったある有名アーティストは、18人のミュージシャンと共に出場、
後ろに巨大スクリーンを3枚と、マイクを100個セットしてほしいという要求で、
それを用意するのに日本円で250万円ぐらいかかるので
それはチャリティーの趣旨に反するので無理ですので、結局お断りすることになったり。
面白いですね。皆さんいろんなアイデアがあって。

ガラコンサートなので司会がいる、ということで、マティルデが紹介くださった
へスス・ビゴラという方は、アンダルシアのラジオで
毎日3時間ぐらい番組を持っていらっしゃる方で、
何と彼の番組、視聴率が30%超えなんですって。
そんな方がセビリアの司会を快く引き受けてくださって、本当に感謝です。

協賛も、アンダルシア州政府文化省をはじめ、コルドバ市庁舎、日本ヒスパノ観光協会、
セビリアコンベンション協会、日本の観光会社のミキトラベルさんや、
またスペイン王家御用達のロエベさんが1500ユーロもするバッグを寄贈してくださったり、
パコ・モリナというフラメンコ衣裳のお店がマントンを寄贈くださったり、
コルドバのホテル協会が無償でお部屋を提供くださったり、
驚くほど沢山の方が手助けしてくださりました。


5月17日にはセビリアで、30日にはコルドバで、メディア向けに記者会見をしました。

セビリア:




コルドバ:




・・・というわけで、長くなるので続きます。


追記: クリックしたらすぐ見れるように、ユーチューブのを設定、
     どうやってやるのかわかりません・・・・

追記2: 有難うございます。出来ました!
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by miematsumura | 2011-06-06 00:58 | 東日本震災支援コンサート