ピアニスト 松村未英 の  スペインの日々
by miematsumura
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エンリケ・グラナドスは144歳

昨日はグラナドスのお誕生日でした。

スペイン版のGoogleに彼の絵が特別に、この日、一緒にデザインされていました。
生誕144年です。
a0214711_2130533.jpg


彼は、代表作のピアノ曲集Goyescasをオペラにして、これをアメリカはNYのメトロポリタンで初演したのですが、その時のアメリカ大統領が大変感動してホワイトハウスに招待されました。
そのためにヨーロッパに帰る船を変更し、ホワイトハウスで演奏したのです。が、その後に乗った帰郷するための船がドイツの潜水艦に爆撃され船は沈みます。
彼は、何とか救助されるのですが、奥さんがまだ水の中でもがいているのを見るや、また水に飛びこみ助けに行きます。そこで、2人とも命を落としてしまうのです。

この彼の最期を知った時、ああやはりゴエスカスは、だからこのような結末で終わっているのだなあ、と納得しました。これは彼の人生観を映しだした作品です。

スペインを代表する画家、フランシスコ・ゴヤのゴヤ風、というのがゴイェスカスの意味です。
ゴヤの絵画にグラナドスが誘発されて出来たのがこの曲です。

ゴエスカスは6曲からなる曲集と、後から書き足した日本語訳で“藁人形”となっている1曲、合計7曲を一緒にします。“わら人形”、とは、一瞬、ぎょっとする題名ですが、これは民謡の遊びなんです。これを書き足すことによって舞台情景、二人の出会いとさらなるスペインの日常風景を整えたのですね。
藁人形を初めに、そしてゴエスカス全曲を次に演奏するわけです。これは愛の物語になっていて、最後に彼女のもとに幽霊となって戻ってきた男の子が朝の光と共に消える、はかない夢のようなお話なのです。

グラナドスの作曲家のキャリアとして、ゴエスカスは唯一、と言っていいぐらいの代表作で、今年で曲ができて100年記念なのです。これ以外の彼のピアノ曲は、かなり規模が落ちるというか、存在がかすむぐらいの差です。このゴエスカスに、彼は人生のすべてを注ぎました。

その偉大な価値の割にあまり知られていないこの美しい作品は、その完成度の規模の大きさ、高さは、他のバッハのゴールドベルク変奏曲、ベートーベンのディアベリ変奏曲、等、大曲に久しい価値があると思います。
私はスペインのピアノ曲の中でこれが一番好きです。

日本では、東京上野の国立西洋美術館で、秋からゴヤ展が開催されるそうです。

私の周りで、最近ゴヤやグラナドスが飛びまわっています。
しっかり捕まえたいものです。
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by miematsumura | 2011-07-28 21:33 | スペイン音楽

フランスの謎

久しぶりに、スカィプで友人と話した。

この人のおかげで今私はスペインにいるのだが、彼との出会いは無茶苦茶面白い。
が、その話は長くなるのでまたいつかと言うことで、(大阪の方、なんやねん、と突っ込んでくださいね)今日書きたいのは、フランス人の食生活についてである。

いかにもグルメ!と思われているフランス。

ミシュラン発祥の国だし、おフランスと呼ばれるこの国民の皆さん、さぞかし美味しいものを毎日食べているのであろう、と日本の人は思っていると思う。

が、実際は、食生活のレベルがとっても不思議だ。
日本人から見ると、とってもとっても不思議だ。世界の七不思議に入れてもいいと思う。

以前パリに住むこの友人の家を訪ねたときのこと。

夕方5時ごろたったが、私たち大人が紅茶を飲んでいる横で、当時9歳の息子に何やら食べさせ始めた。白っぽいそれを良く見ると、薄切りのキュウリだった。
それが大きなボールにいっぱい。夕食前にお腹がすいてちょっとつまんで言うのかと思いきや、これが夕食であるという。

夕食? しかし、きゅうり以外の物はどこ?

そうです。きゅうりです。これが夕食です。と、奥さん。

薄く輪切りにしたきゅうりをお皿にとりわけ、それにちょっとパン。これだけ!!
日本では考えられない。(ですよね?)

手抜きなのですか?と思わず心の中に浮かびましたが、にこにこして食べているこの息子ちゃんが可愛かったのが今でも目に焼き付いています。

はたして、栄養は取れているのであろうか?
現代では栄養失調と言うのはあり得ないと思うけど、こんなのだったらあり得るのかもなあ、と、日本では1日30品目めざせ、とまで言うのに、この違い・・・・


この夫婦が、去年、うちに遊びに来た。

一緒に皆がそれぞれ1品ずつ、おしゃべりしながら料理していたのだが、奥さんがサラダをつくるのに丸ままのレタスを冷蔵庫から取り出し、そのまま、まな板の上で、ざくざく切っていた。
そして、それを大きなボールに入れようとした。

そのレタスは、いつ洗うの?   と待ったをかけた私。

これはお店で買って来たばかりだから綺麗よ。   と当然のごとく、さらりと答える彼女。


・・・・・・・
私は、さりげなく野菜を水で綺麗に洗ってから調理する重要性を説いた。

シャワーを浴びない国民性は有名だが、いやはや、脱帽だ。
まさかサラダにも香水を振りかけるのであろうか?と言うのはジョークであるが、
この友人を語る時、このエピソードがいつも頭に浮かびます。
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by miematsumura | 2011-07-25 06:33

調律ではじまる思い出いろいろ

調律に来て頂いた。
暑いのに、本当にご苦労様である。

ここでは、調律師に苦労するのである。一体何人試したであろうか?

ある時、弦が切れて音が出ない音があるので弦を張り替えに来てくれるように頼んだ。
大事な本番があったので出来るだけ早く来てほしいと頼んだが、なかなか来てくれず数週間が過ぎた。何しろ弾いていると音がところどころないのである。さすがの私も変だと思ってきた。
とうとう来てくれたのは本番前日の朝であった。それまでに来るといって、用事が出来た、来れないを繰り返し、前日に直して耳がどうなるのかは知らぬが、せっかくとうとう来てくれるというので、受け入れたのである。

待ちわびていた私にピアノの前に座った彼は言った。

”弦を持ってくるの忘れちゃったよ。”

・・・・・・・・・・

”でも狂っているところは直すよ。”
そう言って、調律を始めようとした。

やっと来たと思ったら、弦なしで本番前の忙しい時にピアノを2時間以上も占領するのか、と唖然とした私は、お引き取りいただいた。弦なしのままピアノを調律して、そこにどういう意味があるのであろうか?そして、今度は弦を持ってきて2重に請求するぼったくり商法であろうか。謎である。
この調律師にはもう会っていない。


さて、調律師はどこで勉強するのであろうか。

いつもお願いしている方はイギリスの調律学校で勉強したそうだ。どのように皆練習するのか聞いてみたら、とにかく朝から晩まで調律する、と意味が分かるような、わからない様な返事が返ってきた。
(音楽学校では皆、どのように練習するのですか、と聞かれて朝から晩まで練習します、と言う感じであろう。分からないでしょうね。普通の人には。ふふふ。)

440ヘルツにしたり444にしたり変えるので、永遠に調律をするのだだそうな。
音楽学校だと小窓のついた部屋で、各人無心に練習する光景を想像するが、それと同じことを調律学校生徒は無心に、ひたすら直すのであろうか。


この小窓で思い出すのは、大学のことである。学校の練習部屋には全てのドアに小窓がついていて中が見えるようになっていた。使用中のように荷物があっても、もし部屋を15分以上留守にしたらその部屋を使用できる、という規則があった。つまりコーヒーを買いに行ったりしても、15分以内に部屋に戻らなければ誰かに部屋を取られるのである。
部屋がなくなったら困るので、皆ちらちらといつも時計を見ながら休憩していたことを思い出す。



これよりさらにすごいのが、私の大学時代の親友の一人、中国から来た子の話である。

彼女は6歳になった時、家から何千キロ離れた上海の音楽学校の小学校に入学した。
遠いのでひとり寮に入ったのである。ここで同じ年の専攻楽器の違う子8人が、一緒の部屋に寝起きしたらしい。右側に4段ベット、左側に4段ベット。机も8個ずらりとひと部屋にあるのである。
ぬくぬくと日本で育った私には、仰天する、想像もつかない世界であった。8人ひと部屋とは!!

食事も皆が決まった栄養を考慮されたものを食べるのではなく、食堂で各自がお金を持って好きなものを食べるので、子供は嫌いな野菜は食べなかったりお菓子ばかり食べて、だから私は背が低いの、と彼女は言った。

そこでは学校にズラリと練習部屋があり、皆がそこで毎日練習する。ここでもやはり小窓がドアについている。そして、監視員のような人がいつも廊下を行き来していて、その人が小窓から中をを覗き見た時、楽器を弾いてなかったら、それが2回目に起った時には退学だそうだ。怖い!!

そうやってスパルタ教育を受けた彼女は、上海の音楽学校を主席で卒業し、北京の音大に合格した。そして、すぐにアメリカに家族と共に移ってきたというわけだ。

こんな子供時代を過ごした彼女は、雑草のように強かった。
何しろ8人部屋で育ってきているので、あまり周りのことが気にならないというか、強いのである。
あれを見て、ぬくぬく好きな物に囲まれて、あれじゃないこれじゃないと贅沢言っていると、日本人は下手をしたら、このどういう状況でも生き抜けるような中国人に負けてしまう、と思ったのを覚えている。


色々な人に出会ってアメリカで過ごした日々は、すごく貴重であった。
あの日々があってこそ、今の自分があると思う。そして、アメリカに行ってなければ、今私はスペインにいないのは確実であろう。


調律で始まる思い出あれこれでした。
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by miematsumura | 2011-07-21 07:03 | スペインの暮らし

サンフェルミン祭りの専門家になるために

さて、サンフェルミンのお祭りは明日を最終日とするべく、まっしぐら。
スペイン国営TVでは、このお祭り専用のページがあり、毎日の突進の模様がずらりと並んでいます。設置カメラの数といったら!
初日を、先週ここでもご紹介しましたが、その後も毎日の様子がここから見れますので、どうぞ。

http://www.rtve.es/noticias/san-fermin/


昨日久しぶりに観ましたが、毎日けが人が出る為、だんだん参加者が減ってきているらしいです。まさにサバイバルゲーム。
何が彼らをそんなに駆り立てるのであろうか?

毎朝6時だか早朝にこれをするわけですが、これをやったら、皆ほっとして、さあ!朝ご飯、とか想像してなんだか笑ってしまいます。
このお祭りのおかげでこの街は10日間ほど、ホテルもレストラン、そして病院も超!大賑わいなのでしょう。
なんともすごい光景です。
ここはナバラ州の首都パンプロナです。




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by miematsumura | 2011-07-13 23:09 | イベント

サンフェルミン祭り 

7月7日。
日本では七夕ですが、スペインでは、”牛追い祭り”として知られる、サンフェルミンのお祭りの日です。

これはスペイン3大祭りのセビリアの春祭り、バレンシアの火祭り(これも強烈です)、とこのサンフェルミンで、もう国営TVでも10日ぐらい前から、来ますよー、と宣伝がされていて注目度が高かったです。

このお祭りについてヘミングウェイが”日はまた昇る”で触れていますが、先日ちょうどラジオで彼の半生について紹介していたので聞いてたのですが、ヘミングウェイもスペインにどっぷり魅了された一人でした。

街中を牛と一緒に走るわけですが、このお祭りの面白いところが、やはり牛。
何故に牛?と思うことでしょう。なにしろ、闘牛にしろ、スペイン人は牛が好きですね。
それもただの牛ではなく、家畜用のものとは別で闘牛用の種類なので危ないのです
この野生の牛、ということがポイントで、山で人に会わずに育っている牛さん達。
(一緒に走ってる白いのは家畜の怖くない牛。黒いのが怖いほう)


ここのスペイン人と言うものの特性が見えると思います。

牛と言うのはここにある動物の中で、一番手ごわい。
何しろ大人でも同じ背丈になるぐらいまでも大きいし、重さ500kgぐらいあったりするわけです。そして、角まであり、ちょっとひっかけられたら吹っ飛んだり、刺さったりする。
そのようなものに立ち向かうところで自身の勇敢さを競う、と。
この死と隣り合わせの大きな難関に、いかに美しく可憐に立ち向かうか、ということで闘牛があると思うし、一般的な大衆にも身近に感じれるお祭りにしちゃうのが、このサンフェルミンなのです。
スペインよ!キミは面白い!



これは今朝のです。ほやほやです。
コースは勿論決まっていて、牛を放し、皆が一緒に目的地まで走ります。
1回だけじゃなくて1週間これを毎朝やるわけです。
毎朝!と言うあたりも、外国人の私にすると笑えるポイントです。しつこいね!

0:48あたりで人がこけて上を牛が通って行ったように見えます・・・・
1:18では牛がこけたような・・・・  

ちなみに、今日のでは4人負傷者が出た模様です。
皆さん、参加する場合はくれぐれもお気をつけて。
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by miematsumura | 2011-07-07 21:25 | イベント

続・ Puerta del Vino /  葡萄酒の門

昨日の続きです。

このpuerta del Vinoを、日本語でみると、なぜか、ブドウ園の門、と”園”がついてきます。勿論、ここには葡萄園などないですし、Vinoは葡萄酒ですのでこれは書き間違いだと思いますが・・・
ちなみに、何故この名前がついたのか、という由来は、宮殿の上の方に行くには、この門を通って行かなければ上がれなかったのですが、この門は赤くて、アラブ語で”赤”という単語と、”ワイン”という言葉が似ているので、のちにこの2つの単語が混同して一緒になってしまった、とう説があります。

このアラハンブラがあるグラナダと言う街は、つまり、アンダルシア地方のグラナダ県の首都グラナダ市のことを言います。
街の端が山にかかって行くので登って行くと、この宮殿に着きます。
つまり、アラハンブラ宮殿からは、グラナダの街が見下ろせるというわけです。
そして、この葡萄酒の門は、アラハンブラの中で一番古い建物だそうです。

ちなみに、マドリッドのプラド美術館や、バルセロナのサクラダファミリアを訪れる人よりも、このアラハンブラを訪れる人の方が、多いらしいです。ここにあるパラドールも、スペイン全国93か所ある中でも一番の人気です。(パラドールとはスペインの国営ホテルで、昔の貴族の館だとか、修道院をホテルに治したものです。ですので、各ホテルが形が違い、それぞれ雰囲気があって、素敵です。)
ここのパラドールのレストランのテラスから見える緑いっぱいの山が、すごーく素敵です。
泊まらなくっても、是非、ここでお茶でも飲んでみること(スペインはビールですが)をお勧めします。
この宮殿にはいくつかホールがあって、野外劇場は、2000人ぐらい入るであろうか、夏には毎晩フラメンコをやっています。終わったら、そのまま石畳の坂道を降りて歩いて街に戻ってくることができるので、コンサートについておしゃべりしながら、街に着いたら、そこのBARでちょっとつまみましょう、というのが嬉しいです。


また、グラナダは、ロルカの生まれた町として有名です。
今から100年近く前は、グラナダは、文化のイベントが盛んな街で、今日よりももっと重要度が高かったそうです。(今はマドリッドとかセビリアとかの方が明らかに街の大きさも大きいので差が付いているが、街の傾向としてこの人口の割に、良い文化イベントが多い。)
ロルカ博物館もあるし、アラハンブラ宮殿の横にファリャの博物館もあります。
同年代のファリャとロルカは友人だったのです。

1922年7月に、ファリャやロルカを含むその時の知識人が、フラメンコのコンクールを創設しました。それを行ったのが、このpuerta del Vinoのところの広場なのです。
ロルカはこの時まだたった24歳。
同じくアンダルシアのカディス県生まれのファリャは、その時グラナダに住んでいたのですが、ロルカたち仲間と、フラメンコのような芸術の保護を目的に、このようなコンクールを始めたわけです。
出場資格は、プロとしてデビューしていないこと、でありました。
歌部門での優勝者が、後の、マノロ・カラコル、と名乗るようになる少年でした。


そして今からちょうど2年前、2009年の6月10日、このPuerta del Vinoの広場で、このマノロ・カラコルの生誕100年を祝うコンサートが行われ、私は幸運にもその場に居合わせることができました。
13歳だったマノロは、お金がないので、セビリアから歩いてここまで来てコンクールに参加したんだそうで、今はもう亡くなっていますから、彼の娘さんが出て歌っていました。

ロルカやファリャ達は、真のフラメンコが商業主義で失われていくことに対して危惧を抱いていたため、それを保護する目的でこのコンクールを創設しました。その約100年後、フラメンコはユネスコ文化世界遺産に認定されました。
天国で彼らは今のこれらの動きをどんな気持ちで見ていることでしょう。
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by miematsumura | 2011-07-05 07:29 | スペイン音楽

Puerta del Vino / 葡萄酒の門

今晩たまたまスペインで初めて弾いたコンサートの録音が出てきたので、懐かしさ半分、面白半分で聴いてみました。

もう何を弾いたかプログラムを覚えてなかった自分に自分で驚いたけれど、
その中でドビュッシーの前奏曲をいくつか弾いていました。
そのうちの一つが”Puerta del vino” 葡萄酒の門です。
今日はこの曲の話を。

この門はグラナダのアラハンブラ宮殿にあります。
何度か行ったことがあるのですが、写真を撮る習慣がないので写真が手元にありません。写真はまたいつかということで。


ドビュッシーは、1889年のパリの万博でフラメンコを観たと言われています。
スペインを実際に訪れることなしに、ドビュッシーはフラメンコからインスピレーションを受けてこの前奏曲を作曲したわけです。
そして、彼にはスペインのファリャから彼の元に送られた葉書があり、その葉書の絵がこの葡萄酒の門であったのです。
それでこの題名がついたというわけです。

ハバネラのリズムで書かれたこの曲は、スペインのことが多少分かるようになった今久しぶりに聴いたら、すごく興味深いものでした。
ミステリアスな雰囲気、その中でぺディスコ、とフラメンコで呼ばれるビビッと電気が走ったような火花のような衝撃、
(ぺディスコはフラメンコでは一番大切な要素で、これがなければフラメンコではないと私は思います。コカコーラにとって炭酸、カフェオーレにとったらミルクのようなもの)
これを鋭いアルペッジオで表したり、ハーモニーにフラメンコの和音を取り入れたり、フラメンコの中からあふれる気持ちの抑揚を和音の跳躍で表したり、ドビュッシーのフラメンコの印象が読み取れます。
彼は、歌だけではなく、踊りも見たと思います。
踊り手が身をひるがえす様子が目に浮かびます。
この短い曲の中に、これだけ上手く、彼にとってのスペインを、フラメンコを表現するのは素晴らしい。

しかし、やはりあくまでドビュッシーはフランス人で、フランス音楽特有のこの空気の混ざったような独特の音そのものの質、これはフランス語という言語そのものにみれると思うけれど、空気を混ぜて発音するようなこの言語そのまま。それでスペインを表現する、というこの混ざり具合が大変面白い。だから、あくまでこの曲はフランスから見たスペイン、ということですね。


やはり、スペインという国は、外国人にとてもエキゾチックな魅力があると思います。
外国人がスペインをテーマに曲をつくったといえば、他にも、ラベルがスペイン狂詩曲やボレロ(彼は後30km南の街で生まれていればスペイン人であったけど。おしい!)、ビゼーがオペラ・カルメンなどスペインにまつわる曲を書いていますし、リストにもスペイン狂詩曲を作曲しています。
ロシアのグリンカやボロディンに至っては、実際あの時代にグラナダに来て、ヒタ―ノと一緒に住みながらフラメンコを知ろうとしていたらしいです。リムスキー・コルサコフも、オーケストラの曲でスペイン奇想曲がありますし、基本的に、スペインほどよそ者にしたら憧れを呼び起こす国もないのではないでしょうか?
他の国、例えば、ドイツについてそう言う種の憧れはないと思います。
ベルリンの思い出、とかドイツ狂詩曲、とか堅そうだなあ・・・・

そして、そのスペインをテーマに作曲すると、だいたい使われるリズムはハバネラかホタなのです。
例えば、ドビッシーのこの前奏曲はハバネラであり、ビゼーのカルメンでもそう。
ホタは、スペインのアラゴン地方のリズムで、これは普通に3拍子なので、取り入れやすいのでしょう。バレエのドンキホーテだとかホタですね。
フラメンコのリズムを、クラシックの曲に取り入れるのは大変難しい。
これはアルベニスやファリャ、トュリナが成功しているだけで、外国人では知っている限りですが、いないと思います。
このように、憧れなんだけど、いまいちつかめない国、それがスペインなのだという気がします。
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by miematsumura | 2011-07-04 09:56 | スペイン音楽