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ピアニスト 松村未英 の  スペインの日々
by miematsumura
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続・ Puerta del Vino /  葡萄酒の門

昨日の続きです。

このpuerta del Vinoを、日本語でみると、なぜか、ブドウ園の門、と”園”がついてきます。勿論、ここには葡萄園などないですし、Vinoは葡萄酒ですのでこれは書き間違いだと思いますが・・・
ちなみに、何故この名前がついたのか、という由来は、宮殿の上の方に行くには、この門を通って行かなければ上がれなかったのですが、この門は赤くて、アラブ語で”赤”という単語と、”ワイン”という言葉が似ているので、のちにこの2つの単語が混同して一緒になってしまった、とう説があります。

このアラハンブラがあるグラナダと言う街は、つまり、アンダルシア地方のグラナダ県の首都グラナダ市のことを言います。
街の端が山にかかって行くので登って行くと、この宮殿に着きます。
つまり、アラハンブラ宮殿からは、グラナダの街が見下ろせるというわけです。
そして、この葡萄酒の門は、アラハンブラの中で一番古い建物だそうです。

ちなみに、マドリッドのプラド美術館や、バルセロナのサクラダファミリアを訪れる人よりも、このアラハンブラを訪れる人の方が、多いらしいです。ここにあるパラドールも、スペイン全国93か所ある中でも一番の人気です。(パラドールとはスペインの国営ホテルで、昔の貴族の館だとか、修道院をホテルに治したものです。ですので、各ホテルが形が違い、それぞれ雰囲気があって、素敵です。)
ここのパラドールのレストランのテラスから見える緑いっぱいの山が、すごーく素敵です。
泊まらなくっても、是非、ここでお茶でも飲んでみること(スペインはビールですが)をお勧めします。
この宮殿にはいくつかホールがあって、野外劇場は、2000人ぐらい入るであろうか、夏には毎晩フラメンコをやっています。終わったら、そのまま石畳の坂道を降りて歩いて街に戻ってくることができるので、コンサートについておしゃべりしながら、街に着いたら、そこのBARでちょっとつまみましょう、というのが嬉しいです。


また、グラナダは、ロルカの生まれた町として有名です。
今から100年近く前は、グラナダは、文化のイベントが盛んな街で、今日よりももっと重要度が高かったそうです。(今はマドリッドとかセビリアとかの方が明らかに街の大きさも大きいので差が付いているが、街の傾向としてこの人口の割に、良い文化イベントが多い。)
ロルカ博物館もあるし、アラハンブラ宮殿の横にファリャの博物館もあります。
同年代のファリャとロルカは友人だったのです。

1922年7月に、ファリャやロルカを含むその時の知識人が、フラメンコのコンクールを創設しました。それを行ったのが、このpuerta del Vinoのところの広場なのです。
ロルカはこの時まだたった24歳。
同じくアンダルシアのカディス県生まれのファリャは、その時グラナダに住んでいたのですが、ロルカたち仲間と、フラメンコのような芸術の保護を目的に、このようなコンクールを始めたわけです。
出場資格は、プロとしてデビューしていないこと、でありました。
歌部門での優勝者が、後の、マノロ・カラコル、と名乗るようになる少年でした。


そして今からちょうど2年前、2009年の6月10日、このPuerta del Vinoの広場で、このマノロ・カラコルの生誕100年を祝うコンサートが行われ、私は幸運にもその場に居合わせることができました。
13歳だったマノロは、お金がないので、セビリアから歩いてここまで来てコンクールに参加したんだそうで、今はもう亡くなっていますから、彼の娘さんが出て歌っていました。

ロルカやファリャ達は、真のフラメンコが商業主義で失われていくことに対して危惧を抱いていたため、それを保護する目的でこのコンクールを創設しました。その約100年後、フラメンコはユネスコ文化世界遺産に認定されました。
天国で彼らは今のこれらの動きをどんな気持ちで見ていることでしょう。
# by miematsumura | 2011-07-05 07:29 | スペイン音楽

Puerta del Vino / 葡萄酒の門

今晩たまたまスペインで初めて弾いたコンサートの録音が出てきたので、懐かしさ半分、面白半分で聴いてみました。

もう何を弾いたかプログラムを覚えてなかった自分に自分で驚いたけれど、
その中でドビュッシーの前奏曲をいくつか弾いていました。
そのうちの一つが”Puerta del vino” 葡萄酒の門です。
今日はこの曲の話を。

この門はグラナダのアラハンブラ宮殿にあります。
何度か行ったことがあるのですが、写真を撮る習慣がないので写真が手元にありません。写真はまたいつかということで。


ドビュッシーは、1889年のパリの万博でフラメンコを観たと言われています。
スペインを実際に訪れることなしに、ドビュッシーはフラメンコからインスピレーションを受けてこの前奏曲を作曲したわけです。
そして、彼にはスペインのファリャから彼の元に送られた葉書があり、その葉書の絵がこの葡萄酒の門であったのです。
それでこの題名がついたというわけです。

ハバネラのリズムで書かれたこの曲は、スペインのことが多少分かるようになった今久しぶりに聴いたら、すごく興味深いものでした。
ミステリアスな雰囲気、その中でぺディスコ、とフラメンコで呼ばれるビビッと電気が走ったような火花のような衝撃、
(ぺディスコはフラメンコでは一番大切な要素で、これがなければフラメンコではないと私は思います。コカコーラにとって炭酸、カフェオーレにとったらミルクのようなもの)
これを鋭いアルペッジオで表したり、ハーモニーにフラメンコの和音を取り入れたり、フラメンコの中からあふれる気持ちの抑揚を和音の跳躍で表したり、ドビュッシーのフラメンコの印象が読み取れます。
彼は、歌だけではなく、踊りも見たと思います。
踊り手が身をひるがえす様子が目に浮かびます。
この短い曲の中に、これだけ上手く、彼にとってのスペインを、フラメンコを表現するのは素晴らしい。

しかし、やはりあくまでドビュッシーはフランス人で、フランス音楽特有のこの空気の混ざったような独特の音そのものの質、これはフランス語という言語そのものにみれると思うけれど、空気を混ぜて発音するようなこの言語そのまま。それでスペインを表現する、というこの混ざり具合が大変面白い。だから、あくまでこの曲はフランスから見たスペイン、ということですね。


やはり、スペインという国は、外国人にとてもエキゾチックな魅力があると思います。
外国人がスペインをテーマに曲をつくったといえば、他にも、ラベルがスペイン狂詩曲やボレロ(彼は後30km南の街で生まれていればスペイン人であったけど。おしい!)、ビゼーがオペラ・カルメンなどスペインにまつわる曲を書いていますし、リストにもスペイン狂詩曲を作曲しています。
ロシアのグリンカやボロディンに至っては、実際あの時代にグラナダに来て、ヒタ―ノと一緒に住みながらフラメンコを知ろうとしていたらしいです。リムスキー・コルサコフも、オーケストラの曲でスペイン奇想曲がありますし、基本的に、スペインほどよそ者にしたら憧れを呼び起こす国もないのではないでしょうか?
他の国、例えば、ドイツについてそう言う種の憧れはないと思います。
ベルリンの思い出、とかドイツ狂詩曲、とか堅そうだなあ・・・・

そして、そのスペインをテーマに作曲すると、だいたい使われるリズムはハバネラかホタなのです。
例えば、ドビッシーのこの前奏曲はハバネラであり、ビゼーのカルメンでもそう。
ホタは、スペインのアラゴン地方のリズムで、これは普通に3拍子なので、取り入れやすいのでしょう。バレエのドンキホーテだとかホタですね。
フラメンコのリズムを、クラシックの曲に取り入れるのは大変難しい。
これはアルベニスやファリャ、トュリナが成功しているだけで、外国人では知っている限りですが、いないと思います。
このように、憧れなんだけど、いまいちつかめない国、それがスペインなのだという気がします。
# by miematsumura | 2011-07-04 09:56 | スペイン音楽

ぺドロ・リカルド・ミーニョと鶏

最近動物ネタが続いているが、昨日驚いたことがあったので、また。

ペドロ・リカルド・ミーニョというフラメンコ・ピアニストの家にずっと6年ぐらい前から遊びに来るように誘われていたのです。
ピアノが2台あるから遊ぼうぜ、という文句で。

とうとう行ってまいりました。

彼のお母さんはぺパ・モンテスはトリアナの伝統を受け継ぐ数少ないダンサーです。
お父さんは沢山録音もして有名ギタリストのリカルド・ミーニョ。


初めに行くと、黒い長い毛に目の周りが青い犬が出てきて、
”おお!やはりフラメンコアーティストは犬にまでお洒落をさせるのだ!”と思ったら、
それは違うようで、ただ毛が目に入って薬をつけているだけだそう。真っ青な色の薬なのかが謎ですが。

そして、ペドロ・リカルドが言いました。”ポヨもいるんだ”。

え? ポヨ=鶏??と思うと、ペドロが ”ロッキー!”と呼びました。
(スタローンのボクシングの映画からとった名前だそうです。すごいね)

すると、真っ赤なトサカをつけた茶色い鶏がわさわさとやってきた!!  

なんと、彼は犬も飼っていたが、鶏を飼っていた!! ああ、負けた!!


かなり大きいです。だっこ出来ないと思う。つつかれそうだ。私は鳥が怖い。
鶏なのに、犬の餌しか食べないそうな。
そしてもっと鶏がいたけど、食べちゃったので、このロッキーだけになったんだそうな。

食べたって・・・・・割とこのあたり、スペイン人はシビアで、動物=食べるもの、と割り切って解釈しているふしがあります。
(カメラなど持ち歩かないので写真が撮れませんでしたが、茶色のトサカが赤い、体も態度も大きな鶏を想像してくださいね。)
彼が練習しているとドアの外で犬と鶏が一緒に歌うんだそうな。
面白すぎます。これは実際見なくては!(鶏ってそんなに賢いのだろうか?)

ギターがずらりと15丁ぐらい、他にも色々な楽器が壁に飾られ、いっぱい写真が飾ってあって、博物館のような素敵なサロンでした。
何と、ペドロ・リカルドが4カ月の時に、ママ、ぺパとパパ、リカルドは日本に4カ月仕事に行ったのだそうです。
だから、先日の日本の震災のコンサートでは彼が出てくれたのです。日本には特別な感情があるのだよ、と言って。どうも有り難うございます。

この家族は何かと日本にゆかりも深く、90年ごろには、バンドのプリンセス、プリンセスの鳥居香さんがTVの番組で1週間滞在する、というドキュメンタリー体験をこの家でやったそうです。
彼女が全くスペイン語が喋れなかったので一家は驚いたそうですが、
(それはまあ普通だと思うけれど)、
最後の晩にフィエスタをしたら彼女は涙を流して感動したそうな。
その時に、彼女は初め自分がどこの国にいるのかも知らなかったようだ、とか、
(そんなことがあり得るかちょっと疑問だ)、
常に何かあった時の為にタクシーが1週間8台常に家の前に用意されていたとか、スペイン人独特の、(アンダルシア独特?)大げさな言い回しを話してくれました。

その後弾き合いをしたり、またお茶にして、芸術やフラメンコの行く先について話をしたり、食べて喋ってと、パパ・リカルドが作曲したブレリアを一緒に弾いたり、すごく楽しかったです。


次の訪問は、6年後と言わず、もう少しすぐあると良いなと思います。


そういえば、彼に何故ギターではなくって、ピアノを始めたのか、という質問をしたら、
1歳の時に子供用のギターをもらったけど、いやで放り投げちゃうので、ピアノになった、と言う答えが。
意味が分かるような、分からない様な・・・・
つまり、ピアノは重いので放り投げれないから、という意味かなあと思ったのですけど、皆でおしゃべりしていたので、そこに突っ込むのを忘れました。
今度聞いてみよう。。。。
# by miematsumura | 2011-06-27 08:07 | イベント

ネコの素晴らしさについて

先日、犬の素晴らしさについて書いたら、友人からネコを褒めろとメールが来ました。
なので、今日はネコちゃんについて書かせていただきます。


私の従弟が猫を常時3-5匹も常時飼っていたり、子供の時から身近にいた動物です。
ネコちゃんは。

以前、数日留守にするからと、知り合いの3匹のネコのえさやりを頼まれました。
家に到着すると、みゃーみゃーと寄ってきて、お、早速なついて可愛いな、と思い始めたら
ご飯を食べ終えたら、すーっといなくなってしまった。

あれ?  ・・・ネコにはしっぽを振るとか、愛想はないのであろうか?


次の日にまた行くと、敷地に到着して家に歩いてくる私をじーっと窓から見つける3匹の猫が見えました。
お、私のことを待っているのだ!来た甲斐があったな、猫って可愛いかも、と思い始めたら、ネコは3匹一緒に、ただただ、じーっと私を見つめているだけだという事に気がつきました。尻尾を振るわけでもなく。笑みをうかべるでもなく。

あれ?  ・・・ただ見ているだけかあ。 嬉しくないのかあ。 ・・・ふむ、どうしたものか。


その夜、その家に泊まったのであるが、その愛想がないと思われた猫は、早々と私が寝る場所を察知して何と私のベッドの上に先に寝ていたのであります。
3匹が、どんとそれぞれ丸まっていたので、お客の私は申し訳なく遠慮がちに自分のスペースを確保し、何とかベットにもぐりこみました。
でも、皆一緒に朝まで寝れて、そんなことができる猫って案外可愛いのかもなと思いながらまどろみ、朝目覚めてみると、私一人になっていました。
 

あら?ここで、わんこだったら、ペロッとほっぺにおはようのキスでもくれるんですけど。
ネコはさっさと去ってしまうのかあ。



さて、次の晩、今日は一人でのびのびと寝ようと、すぐに寝室のドアをぴっちり閉めて寝る用意をしました。
すると、寝室の外で3匹そろってみゃーみゃーと鳴き始めました。
その晩はのびのびと寝がえりをうつ予定にしていた私は、ネコの声を無視したけれど、ネコは構わず、ずーっと、ずーっと10分も鳴き続けました。
私が、とうとう我慢できずにドアを開けると、猫たちはさっと滑り込んできて勝手にベッドに上がり、さっさと丸まって休みだしたのです。
何という早さ!
でもドアを開けてくれて嬉しい仕草もなく、もう丸まって寝ている!!
だけれど、また同じベットで皆一緒に朝まで寝れて、猫って可愛いのかもなあと、うとうとして眠りにつきました。
そして、またしても朝目覚めてみると、私一人になっていました。

あらら、わんこだったら、ペロッとほっぺにおはようのキスをくれて、私に体を摺り寄せておはようのあいさつをくれるんですけどね。
もう、尻尾もちぎれんばかりに振りながら。


ああ、わんこって素晴らしい!

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# by miematsumura | 2011-06-23 08:51

犬と芸術

犬、という生き物がいる。

私はこの生き物がとても好きである。
世の中では、イヌ派とネコ派であるかを問う傾向にあるが、私は断然犬である。
犬!犬!犬!

犬は、素晴らしい。
ドゴ・アレマン(ジャーマン・ドゴ)のオスで、マンボと言う名前の犬を飼っていた。
これは巨大犬で、成犬になった時は、後ろ足で立ち上がると私の顔の前にマンボの顔が来るぐらい大きかった。
体重、80kg。
生後2週間の時に初めてあった時は、顔はぶちゃいくで心配したものだが、大きくなったらすごく可愛くなった。
性格は驚くほど優しく、ちょっと間抜けで甘えん坊であった。
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彼が1歳半の時に転機が来た。

近所に同じ種類のサパという雌犬がいて、我が家に遊びにやってきたのだ。
そこでマンボは恋に落ちたのである。

昼間は庭で走り回って遊んでいたが、夕方になるとサパは良い家庭の子なので家に帰る。
そこでマンボは悲しくって、悲しくって、彼女の家の方角を向いて座ってご飯も食べないぐらいであった。
その時、私はグラナドスのゴエスカスを弾いていた。
”嘆き、またはマハと夜鳴鳥”のメランコリーなメロディーが彼の悲しみを誘ったようで、ここで彼が歌い出したのである。
私が30分弾いていると、30分ずっと歌っている。
あまりに悲しく感情をこめて歌うので、とうとう私がいい加減にしてくれと言ってもやめなかった。まさに”嘆き、またはマンボと夜鳴鳥”である。

それ以来、私が弾くといつも歌うようになった。



マンボが歌い始めて数ヵ月後に、弟分のわんこが来た。
ポッキーという名前である。ちなみにこれはスペイン人の夫の命名であるが、日本のお菓子と、マンボに比べてあまりに小さいのとにかけている。
ポッキーはいつもマンボが歌っているのを興味深そうに見ていた。
しかしいつまでたっても見ているだけで歌わないので、これは性格の問題か、犬にもよるのかと思っていたら、ある日、突然歌い出したのである。
彼のそれは、よりロングトーンで素晴らしかった。

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彼らのレパートリーは大変広く、スカルラッティ、バッハからベートーベン、リストやショパン、シューマンやラフマニノフ、スクリャービン、ドビュッシーなど多岐にわたり、勿論、アルベニスやファリャなどのスペインの曲も、フラメンコのマラゲ-ニャなどまでも得意である。
ホセ・バレンシアやボボテが唸るぐらい上手いのである。
マンボとポッキーは素晴らしいデュエットで、近所でも有名であった。
彼らは練習にも大変熱心で、夜の2時でも歌う。
踊りにも興味があるようで、じーっと見つめている。サパテアードにも興味しんしんである。
特にレオノ―ル・レアルがお好みのようである。
私としては音楽の方で進んで欲しいと思っているが。

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セビリアにはマヌエル・ボルケス、というフラメンコの批評家がいて、新聞にも批評を載せたりしているのだが彼が我が家の犬の歌の才能を知り、大変感激してメールをよこした。
”これは驚くべきことだ!犬が歌うとは!”

ええそうでしょう。何しろ、うちのわんこ達は、日本語、英語、スペイン語がわかり、そして歌まで歌えるのです。

そして、ボルケスは自身が飼っている犬、ジェパードにも私に負けじと教育を行ったようである。すると、とうとう歌ったんだそうだ。
彼は感激し、犬の写真と共にそれを自身のブログに載せていた。


すると、今度はダンサーのロシオ・モリナが、彼女は昨年スペインの国家舞踊賞を受賞したぐらい新進気鋭なのだが、先日ロぺ・デ・ベガ劇場で初演した彼女のショーで犬が歌うのに合わせて踊ったそうだ。
この犬が吠えるのは録音で、舞台では本物の犬が舞台で座っているそうであるが、以前彼女が我が家に来た時、マンボが歌っていた。
彼女のインスピレーションは、マンボから来たにちがいない。

ちなみに、この犬は、ロシオと共に世界中を旅して回るのであろうか?
今後の参考にしたいものである。
# by miematsumura | 2011-06-19 09:32 | 芸術について